・・・ 叔母は易者の手紙をひろげたなり、神山と入れ違いに来た女中の美津と、茶を入れる仕度に忙しかった。「あら、だって電話じゃ、昨日より大変好さそうだったじゃありませんか? もっとも私は出なかったんですけれど、――誰? 今日電話をかけたのは・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 九「まずあれは易者なんで、佐助めが奥様に勧めましたのでございます、鼻は卜をいたします。」「卜を。」「はい、卜をいたしますが、旦那様、あの筮竹を読んで算木を並べます、ああいうのではございません。二三度何と・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・プロマイド屋の飾窓に反射する六十燭光の眩い灯。易者の屋台の上にちょぼんと置かれている提灯の灯。それから橋のたもとの暗がりに出ている螢売の螢火の瞬き……。私の夢はいつもそうした灯の周りに暈となってぐるぐると廻るのです。私は一と六の日ごとに平野・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
小は大道易者から大はイエスキリストに到るまで予言者の数はまことに多いが、稀代の予言狂乃至予言魔といえば、そうざらにいるわけではない。まず日本でいえば大本教の出口王仁三郎などは、少数の予言狂、予言魔のうちの一人であろう。 まこと・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・戎橋筋は銀行の軒に易者の鈍い灯が見えるだけ、すっかり暗かったが、私の心にはふと灯が点っていた。新しい小説の構想が纒まりかけて来た昂奮に、もう発売禁止処分の憂鬱も忘れて、ドスンドスンと歩いた。 難波から高野線の終電車に乗り、家に帰ると、私・・・ 織田作之助 「世相」
・・・カフェ・ピリケンの前にひとり、易者が出ていた。今夜も出ていた。見台の横に番傘をしばりつけ、それで雪を避けている筈だが、黒いマントはしかし真っ白で、眉毛まで情なく濡れ下っていた。雪達磨のようにじっと動かず、眼ばかりきょろつかせて、あぶれた顔だ・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ ――ところが僕は、易者だということになっている。予言者だよ。驚いたろう。 ――酔ったふりなんかするな。手をついてあやまれ。 ――僕を理解するには何よりも勇気が要る。いい言葉じゃないか。僕はフリイドリッヒ・ニイチェだ。 私は・・・ 太宰治 「逆行」
・・・しかしそれくらいの事が自慢になるようであったら世の中に易者や探偵という商売は存在しない訳であり、奥歯一本の化石から前世界の人間や動物の全身も描きだすような学者はあり得ない訳である。 色々と六かしい、しかもたいていはエゴイスティックな理窟・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・参詣の人が二人三人と絶えず上り降りする石段の下には易者の机や、筑波根売りの露店が二、三軒出ていた。そのそばに児守や子供や人が大勢立止っているので、何かと近いて見ると、坊主頭の老人が木魚を叩いて阿呆陀羅経をやっているのであった。阿呆陀羅経のと・・・ 永井荷風 「深川の唄」
出典:青空文庫