・・・また、いつもの昔話でございますが。」 こう前置きをして、陶器師の翁は、徐に話し出した。日の長い短いも知らない人でなくては、話せないような、悠長な口ぶりで話し出したのである。「もうかれこれ三四十年前になりましょう。あの女がまだ娘の時分・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・が、御辞退申しましては反って御意に逆う道理でございますから、御免を蒙って、一通り多曖もない昔話を申し上げると致しましょう。どうか御退屈でもしばらくの間、御耳を御借し下さいまし。「私どものまだ年若な時分、奈良に蔵人得業恵印と申しまして、途・・・ 芥川竜之介 「竜」
・・・ もしそこへ出たのが、当り前の人間でなくて、昔話にあるような、異形の怪物であっても、この刹那にはそれを怪み訝るものはなかったであろう。まだ若い男である。背はずっと高い。外のものが皆黒い上衣を着ているのに、この男だけはただ白いシャツを着て・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・ ――金石の湊、宮の腰の浜へ上って、北海の鮹と烏賊と蛤が、開帳まいりに、ここへ出て来たという、滑稽な昔話がある―― 人待石に憩んだ時、道中の慰みに、おのおの一芸を仕ろうと申合す。と、鮹が真前にちょろちょろと松の木の天辺へ這って、脚を・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 幼い時聞いて、前後うろ覚えですが、私の故郷の昔話に、(椿農家のひとり子で、生れて口をきくと、と唖の一声ではないけれども、いくら叱っても治らない。弓が上手で、のちにお城に、もののけがあって、国の守が可恐い変化に悩まされた時、自から進んで・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・―― 欄干の折れた西の縁の出端から、袖形に地の靡く、向うの末の、雑樹茂り、葎蔽い、ほとんど国を一重隔てた昔話の音せぬ滝のようなのを、猶予らわず潜る時から、お誓が先に立った。おもいのほか、外は細い路が畝って通った。が、小県はほとんど山姫に・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・が、曾祖、祖父、祖母、なおその一族が、それか、あらぬか、あの雲、あの土の下に眠った事を、昔話のように聞いていた。 ――家は、もと川越の藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。石州浜田六万四千石……船つきの湊を抱えて、内福の聞こ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・君は、なにかこの池について、おもしろい昔話を聞いたことがありませんか。」と、紳士は、たずねました。信吉は、この人は、道を迷ったのでない。なにか、この池についてしらべているのだなと思いました。「ええ、知っています。」 彼は、子供の時分・・・ 小川未明 「銀河の下の町」
・・・「秀公が、小さいとき、おばあさんから、昔話をきいたんだって。昔あるお姫さまが、悪者のためにさらわれていって、沖の島で、一生独りさびしく琴を弾じて送ると、死んでから、その魂がうそになったというのだよ。それで、うそがさえずっていたので、秀公・・・ 小川未明 「二少年の話」
・・・話がたまたま昔話に移った。「あの時は君は……」H・KはいきなりT・Iにだきついて、泣きだした。T・Iも「K君、よく来てくれた。おれは会いたかったよ」と泣いた。速記者があっけに取られていると、二人は起ち上って、ダンスをはじめた。ダンスがすむと・・・ 織田作之助 「中毒」
出典:青空文庫