・・・庭の向うに続いた景色も、曇天を映した川の水と一しょに、荒涼を極めたものだった。が、その景色が眼にはいると、お蓮は嗽いを使いがら、今までは全然忘れていた昨夜の夢を思い出した。 それは彼女がたった一人、暗い藪だか林だかの中を歩き廻っている夢・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・一瞬の後には、やはり歯をむき出した、彼等の顔を鏡に映したような顔が、幾つも彼等の左右に出没し始めた。そうしてその顔と共に、何本かの軍刀が、忙しく彼等の周囲に、風を切る音を起し始めた。 それから後の事は、どうも時間の観念が明瞭でない。丈の・・・ 芥川竜之介 「首が落ちた話」
・・・そのまた胴は窓の外に咲いた泰山木の花を映している。……しかしふと指に触れたズボンの底の六十何銭かはたちまちその夢を打ち壊した。今日はまだやっと十何日かである。二十八日の月給日に堀川教官殿と書いた西洋封筒を受け取るのにはかれこれ二週間も待たな・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・ その癖、傍で視ると、渠が目に彩り、心に映した――あのろうたけた娘の姿を、そのまま取出して、巨石の床に据えた処は、松並木へ店を開いて、藤娘の絵を売るか、普賢菩薩の勧進をするような光景であった。 渠は、空に恍惚と瞳を据えた。が、余りに・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 目鼻立ちのばらりとした、額のやや広く、鼻の隆いのが、……段の上からと、廊下からと、二ヶ処の電燈のせいか、その怪しい影を、やっぱり諸翼のごとく、両方の壁に映しながら、ふらりと来て、朦朧と映ったが、近づくと、こっちの息だか婦の肌の香だか、・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・何だ、袖に映したって、映るものかね。ここは引汐か、水が動く。――こっちが可い。あの松影の澄んだ処が。」「ああ、御免なさい。堪忍して……映すと狐になりますから。」「私が請合う、大丈夫だ。」「まあ。」「ね、そのままの細い翡翠じゃ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
川の中に、魚がすんでいました。 春になると、いろいろの花が川のほとりに咲きました。木が、枝を川の上に拡げていましたから、こずえに咲いた、真紅な花や、またうす紅の花は、その美しい姿を水の面に映したのであります。 なんのたのしみも・・・ 小川未明 「赤い魚と子供」
・・・すると、その夜から、この川に、ほたるが出て、水の流れに姿を映しながら飛んだのであります。 愚かな聟は、美しい嫁をもらって、どんなに喜んでいたかしれません。そして、自分はできるだけ、やさしく彼女にしたつもりでいました。それが、ふいに姿を隠・・・ 小川未明 「海ぼたる」
梅雨の頃になると、村端の土手の上に、沢山のぐみがなりました。下の窪地には、雨水がたまって、それが、鏡のように澄んで、折から空を低く駆けて行く、雲の影を映していました。私達は、太い枝に飛びついて、ぶら下りながら赤く熟したのから、もぎとり・・・ 小川未明 「果物の幻想」
・・・外はクワッと目映しいほどよい天気だが、日蔭になった町の向うの庇には、霜が薄りと白く置いて、身が引緊るような秋の朝だ。 私が階子の踏子に一足降りかけた時、ちょうど下から焚落しの入った十能を持って女が上ってきた。二十七八の色の青い小作りの中・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫