・・・そういう道学的小説観は今日ではもはや問題にならないが、為永春水輩でさえが貞操や家庭の団欒の教師を保護色とした時代に、馬琴ともあるものがただの浮浪生活を描いたのでは少なくも愛読者たる士君子に対して申訳が立たないから、勲功記を加えて以て完璧たら・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・『書生気質』や『妹と背鏡』は明治かぶれのした下手な春水ぐらいにしか思わなかった。 私のような何にも知らないものさえ実はこの位にしか思わなかったのだから、その当時既にトルストイをもガンチャローフをもドストエフスキーをも読んでいた故長谷川二・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・馬琴と相前後して居る作者には、山東京伝であれ、式亭三馬であれ、十返舎一九であれ、為永春水であれ、直接に当時の実社会を描き写して居るものが沢山ありますが、馬琴においては、三勝・半七を描きましてもお染・久松を描きましても、それをかなり隔たった時・・・ 幸田露伴 「馬琴の小説とその当時の実社会」
・・・うるさいと家を駈け出し当分冬吉のもとへ御免候え会社へも欠勤がちなり 絵にかける女を見ていたずらに心を動かすがごとしという遍昭が歌の生れ変り肱を落書きの墨の痕淋漓たる十露盤に突いて湯銭を貸本にかすり春水翁を地下に瞑せしむるのてあいは二言目・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・親戚の家にあった為永春水の「春色梅暦春告鳥」という危険な書物の一部を、禁断の木の実のごとく人知れず味わったこともあった。一方ではゲーテの「ライネケ・フックス」や、それから、そのころようやく紹介されはじめたグリムやアンデルセンのおとぎ話や、「・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・京伝一九春水種彦を始めとして、魯文黙阿弥に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒さと薄暗さにも恨むことなく反抗することなく、手錠をはめられ板木を取壊・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ 江戸時代にあって、為永春水その年五十を越えて『梅見の船』を脱稿し、柳亭種彦六十に至ってなお『田舎源氏』の艶史を作るに倦まなかったのは、啻にその文辞の才能くこれをなさしめたばかりではなかろう。 四 築地本願寺・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・馬琴春水の物や、『春雨物語』、『佳人の奇遇』のような小説類は沢山あったが、硯友社作家の新刊物は一冊もなかった。わたくしが中学生の頃初め漢詩を学びその後近代の文学に志を向けかけた頃、友人井上唖々子が『今戸心中』所載の『文芸倶楽部』と、緑雨の『・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・ わたくしはまた更に為永春水の小説『辰巳園』に、丹次郎が久しく別れていたその情婦仇吉を深川のかくれ家にたずね、旧歓をかたり合う中、日はくれて雪がふり出し、帰ろうにも帰られなくなるという、情緒纏綿とした、その一章を思出す。同じ作者の『湊の・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・そのほか春月、春水、暮春などいえる春の題を艶なる方に詠み出でたるは蕪村なり。例えば伽羅くさき人の仮寝や朧月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫