・・・岡林杢之助殿なども、昨年切腹こそ致されたが、やはり親類縁者が申し合せて、詰腹を斬らせたのだなどと云う風評がございました。またよしんばそうでないにしても、かような場合に立ち至って見れば、その汚名も受けずには居られますまい。まして、余人は猶更の・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一し・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・ あの娘は阿米といいましてちょうど十八になりますが、親なしで、昨年の春まで麹町十五丁目辺で、旦那様、榎のお医者といって評判の漢方の先生、それが伯父御に当ります、その邸で世話になって育ちましたそうでございます。 門の屋根を突貫いた榎の・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・実は昨年、ちょうど今頃……もう七八日あとでした。……やっぱりお宅でお世話になって、その帰途がけ、大仁からの電車でしたよ。この月二十日の修善寺の、あの大師講の時ですがね、――お宅の傍の虎渓橋正面の寺の石段の真中へ――夥多い参詣だから、上下の仕・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・考えて見ると成程一昨年来た時も、其前に来た時も改まった挨拶などはしなかった様に覚えてるが、しかしながら今は岡村も慥か三十以上だ。予は四十に近い。然も互いに妻子を持てる一ぱしの人間であるのに、磊落と云えば磊落とも云えるが、岡村は決して磊落な質・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ツイ昨年易簀した洋画界の羅馬法王たる黒田清輝や好事の聞え高い前の暹羅公使の松方正作の如きもまた早くから椿岳を蒐集していた。が、椿岳の感嘆者また蒐集家としては以上の数氏よりも遅れているが、最も熱心に蒐集したのは銀座の天居であった。天居といって・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・が、紅葉も露伴も飽かれた今日、緑雨だけが相変らず読まれて、昨年縮印された全集がかなりな部数を売ったというは緑雨の随喜者が今でもマダ絶えないものと見える。緑雨は定めし苔の下でニヤリニヤリと脂下ってるだろう。だが、江戸の作者の伝統を引いた最後の・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・二 その話は別として、先般の反キリスト教同盟というものは、まさに昨年四月から北京に開かれた世界キリスト教青年大会と対立して気勢を挙げたものだ。そうして反キリスト教同盟は「キリスト教は科学の信仰を阻止し、資本主義の手先になって、他・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・言って、引き離されてしまったので、やけになり世にすねたあげく、いっそこの世を見限ろうとしたこともあるが、五年後の再会を思いだしたので、ふたたび発奮して九州へ渡り、高島、新屋敷などの鉱山を転々とした後、昨年六月から佐賀の山城礦業所にはいって働・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・「……私が最初にあの女に会うたのは昨年の四月の末、覚王山の葉桜を見に行き、『寿』という料亭に上った時です。あの女はあそこの女中だったのです。その時女は、私は夫に死に別れ、叔母の所に預けてある九歳になる娘に養育費を送るために、こういう商売・・・ 織田作之助 「世相」
出典:青空文庫