・・・ 柳はほんのりと萌え、花はふっくりと莟んだ、昨日今日、緑、紅、霞の紫、春のまさに闌ならんとする気を籠めて、色の濃く、力の強いほど、五月雨か何ぞのような雨の灰汁に包まれては、景色も人も、神田川の小舟さえ、皆黒い中に、紅梅とも、緋桃とも言う・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 病者はなおも和かに、「何、そう驚くにゃ及ばない。昨日今日にはじまったことではないが、お貞、お前は思ったより遥に恐しい女だな。あれは憎い、憎い奴だから殺したいということなら、吾も了簡のしようがあるが、は実に残酷だ。人を殺せば自分も死・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・しかも、驚嘆すべきことが、応接にいとまのないくらい、目まぐるしく表情を変えて、あわただしいテンポで私たちを襲っている昨日今日、いちいち莫迦正直に驚いていた日には、明日の神経がはや覚束ないのである。俗な言い方をすれば、驚いているひまもない。・・・ 織田作之助 「大阪の憂鬱」
・・・溝の中に若い娘の屍体が横たわっているという風景も、昨日今日もはや月並みな感覚に過ぎない。老大家の風俗小説らしく昔の夢を追うてみたところで、現代の時代感覚とのズレは如何ともし難く、ただそれだけの風俗小説ではもう今日の作品として他愛がなさ過ぎる・・・ 織田作之助 「世相」
・・・然し此女の言葉は主人の昨日今日を明白にして了った。そして又真正面から見た「にッたり」の木彫に出会って、これが自分で捌き得る人物だろうかと、大に疑懼の念を抱かざるを得なくなり、又今更に艱苦にぶつかったのであった。 主人の憤怒はやや・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ところでじゃ、あの精女の姿を思い出して見なされ、思い出すどころかとっくに目先にチラツイてある事じゃろうがマア、そのやせ我まんと云う仮面をぬいで赤裸の心を出さにゃならぬワ、昨日今日知りあった仲ではないに……第一の精霊ほんとうにそうじゃ、春・・・ 宮本百合子 「葦笛(一幕)」
・・・ この部落十七軒が団結して独占地主××と闘争をはじめたのは昨日今日のことではない。旧労農党時代からだ。近隣の三部落も全農支部を組織して勇敢に闘争している。中でもこの部落は四・一六と二・一六とに犠牲者を出した。組合員は地主との闘争の焦点を・・・ 宮本百合子 「飛行機の下の村」
・・・そしてそこにさまざまの形でいとなまれている昨日今日の生活とたたかいとを考える。 毎年一月の十五日は三ツのLの日として記念されてきたけれども、今年はこの三ツのLという字が私の心に特別な深さとひびきとをともなってうかんでくる。ただレーニンと・・・ 宮本百合子 「三つの愛のしるし」
・・・私は、私共一家族の短かいとは云え、昨日今日では無い遺伝を背負って居る。 今日、私自身が自らの裡に自覚する強みも、弱みも、何処か遠い、見えない彼方に下された胚種の、一つの発芽であると、何うして云えないだろう。 此の一家族を貫く何等かの・・・ 宮本百合子 「無題」
出典:青空文庫