・・・ 昼過ぎに上野へ出掛けたが、美術館前の通りは自動車で言葉通りに閉塞されていた。これも近年の現象である。美術が盛んになったのではなくて自動車が安くなったのであろう。 場内は蒸暑さに茹だるようであった。この美術館の設計はたしかに日本の気・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・ 若葉の茂りに庭のみならず、家の窓もまた薄暗く、殊に糠雨の雫が葉末から音もなく滴る昼過ぎ。いつもより一層遠く柔に聞えて来る鐘の声は、鈴木春信の古き版画の色と線とから感じられるような、疲労と倦怠とを思わせるが、これに反して秋も末近く、一宵・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・また梅が散る春寒の昼過ぎ、摺硝子の障子を閉めきった座敷の中は黄昏のように薄暗く、老妓ばかりが寄集った一中節のさらいの会に、自分は光沢のない古びた音調に、ともすれば疲れがちなる哀傷を味った事もあった。 しかしまた自分の不幸なるコスモポリチ・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 粟はまだある。水もまだある。文鳥は満足している。自分は粟も水も易えずに書斎へ引込んだ。 昼過ぎまた縁側へ出た。食後の運動かたがた、五六間の廻り縁を、あるきながら書見するつもりであった。ところが出て見ると粟がもう七分がた尽きている。・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 一冬で、巨大な穴、数万キロの発電所の掘鑿をやるのには、ダイナマイトも坑夫も多量に「消費」されねばならなかった。 午後六時の上り発破の時であった。 昼過ぎから猛烈な吹雪が襲って来たので、捲上の人夫や、捨場の人夫や、バラス取り、砂・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・ すると、昼過ぎになって、突然海老屋の番頭だという男が訪ねて来た。 昨日のお礼を云いたいから、店まで一緒に来てくれと云うのである。 いろいろ言葉に綾をつけながら、わざと早口に、ぞんざいな物云いをする番頭は、彼の妙にピカピカする黒・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫