・・・僕は十年来一日に一度、昼飯か晩飯かは外で食うことにしている。カッフェーの料理は殆ど口には入れられないほど粗悪であるが、然し僕は強いて美食を欲するものでもない。毒にもならずして腹のはるものならば大抵は我慢をして食う。若し自分の口に適したものが・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・と圭さんが、あすの昼飯の相談をする。「饂飩はよすよ。ここいらの饂飩はまるで杉箸を食うようで腹が突張ってたまらない」「では蕎麦か」「蕎麦も御免だ。僕は麺類じゃ、とても凌げない男だから」「じゃ何を食うつもりだい」「何でも御馳・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ドンが鳴ると必ず昼飯だと思う連中とは少々違っています。 ここいらで前段に述べた事を総括しておいて、それから先へ進行しようと思います。吾々は生きたいと云う念々に支配せられております。意識の方から云うと、意識には連続的傾向がある。この傾向が・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
・・・田舎のどこの小さな町でも、商人は店先で算盤を弾きながら、終日白っぽい往来を見て暮しているし、官吏は役所の中で煙草を吸い、昼飯の菜のことなど考えながら、来る日も来る日も同じように、味気ない単調な日を暮しながら、次第に年老いて行く人生を眺めてい・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・ 彼は鼻の穴を気にしながら遂々十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻・・・ 葉山嘉樹 「セメント樽の中の手紙」
一 ――一九二三年、九月一日、私は名古屋刑務所に入っていた。 監獄の昼飯は早い。十一時には、もう舌なめずりをして、きまり切って監獄の飯の少ないことを、心の底でしみじみ情けなく感じている時分だ。 私は・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・近道が出来たのならば横手へ廻る必要もないから、この近道を行って見ようと思うて、左へ這入て行ったところが、昔からの街道でないのだから昼飯を食う処もないのには閉口した。路傍の茶店を一軒見つけ出して怪しい昼飯を済まして、それから奥へ進んで行く所が・・・ 正岡子規 「くだもの」
余は昔から朝飯を喰わぬ事にきめて居る故病人ながらも腹がへって昼飯を待ちかねるのは毎日の事である。今日ははや午砲が鳴ったのにまだ飯が出来ぬ。枕もとには本も硯も何も出て居らぬ。新聞の一枚も残って居らぬ。仕方がないから蒲団に頬杖ついたままぼ・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・ 彼等は、おそい昼飯を至極技巧的な快活さに於て食べた。――彼は、出来るだけ愉快な心持で善後策を講じる準備に、体は動せない代り、能う限り滑稽な話題で彼女を笑わせようとした。彼女は良人の仕うちが癪にさわり、憤りたいのだけれども、話されること・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・の食堂で、昼飯をたべていた。作家団体に属する者は、五ルーブリの切符を半額で買って、そこで品質のいい食事が出来るのであった。 わたしの坐ったテーブルに、二人中年の男がいる。やっぱり切符組だ。ふとその一人と口をきくようになった。 彼は、・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
出典:青空文庫