・・・古くからこの温泉を知っている浴客のいつもの懐旧談であったが、多少牢門じみた感じながら、その溪へ出口のアーチのなかへは溪の楓が枝を差し伸べているのが見えたし、瀬のたぎりの白い高まりが眼の高さに見えたし、時にはそこを弾丸のように擦過してゆく川烏・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・先程の婦人がそれにつれて踊るであろうような音楽です。時には嘲笑的にそしてわざと下品に。そしてそれが彼等の凱歌のように聞える――と云えば話になってしまいますが、とにかく非常に不快なのです。 電車の中で憂鬱になっているときの私の顔はきっと醜・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・されどかれも年若き男なり、時にはわが語る言葉の端々に喚びさまされて旧歓の哀情に堪えやらず、貴嬢がこの姿をかき消すこともあれど、要するに哀れの少女よとかこつ言葉は地震の夜の二郎にはあらず、燃ゆる恋はいつしか静かなる憐みと変われり。されど貴嬢、・・・ 国木田独歩 「おとずれ」
・・・不憫なりとは語りあえど、まじめに引取りて末永く育てんというものなく、時には庭先の掃除など命じ人らしく扱うものありしかど、永くは続かず。初めは童母を慕いて泣きぬ、人人物与えて慰めたり。童は母を思わずなりぬ、人人の慈悲は童をして母を忘れしめたる・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・市を出はずるる頃より月明らかに前途を照しくるれど、同伴者も無くてただ一人、町にて買いたる餅を食いながら行く心の中いと悲しく、銭あらば銭あらばと思いつつようよう進むに、足の疲れはいよいよ甚しく、時には犬に取り巻かれ人に誰何せられて、辛くも払暁・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・一日置きに診察して貰えるので、時にはまるで「お抱え医者」を侍らしているゼイタクな気持を俺だちに起させることがある。然し勿論その「お抱え医者」なるものが、どんな医者であるかということになれば、それは全く別なことである。 夜、八時就寝、たっ・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・私は春先の筍のような勢いでずんずん成長して来た次郎や、三郎や、それから末子をよく見て、時にはこれが自分の子供かと心に驚くことさえもある。 私たち親子のものは、遠からず今の住居を見捨てようとしている時であった。こんなにみんな大きくなって、・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・彼女は一日も手放しがたいものに思うお新を連れ、預り子の小さな甥を連れ、附添の婆やまで連れて、賑かに家を出て来たが、古い馴染の軒を離れる時にはさすがに限りない感慨を覚えた。彼女はその昂奮を笑いに紛わして来た。「みんな、行って来るぞい」その言葉・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・しかし、僕に死を禁ずるその同じ詭弁家が時には僕を死の前にさらしたり、死に赴かせたりするのだ。彼等の考え出すいろいろな革新は僕の周囲に死の機会を増し、彼等の説くところは僕を死に導き、または彼等の定める法律は僕に死を与えるのだ。」 織田君を・・・ 太宰治 「織田君の死」
・・・私でさえも、時には人から先生と呼ばれる事がありますけれど、少しもこだわらず、無邪気に先生と呼ばれた時には、素直に微笑して、はい、と返事も出来ますが、向うの人が、ほんのちょっとでも計算して、意志を用いて、先生と呼びかけた場合には、すぐに感じて・・・ 太宰治 「風の便り」
出典:青空文庫