・・・だから江口の批評は、時によると脱線する事がないでもない。が、それは大抵受取った感銘へ論理の裏打ちをする時に、脱線するのだ。感銘そのものの誤は滅多にはない。「技巧などは修辞学者にも分る。作の力、生命を掴むものが本当の批評家である。」と云う説が・・・ 芥川竜之介 「江口渙氏の事」
・・・ 同時に真直に立った足許に、なめし皮の樺色の靴、宿を欺くため座敷を抜けて持って入ったのが、向うむきに揃っていたので、立花は頭から悚然とした。 靴が左から……ト一ツ留って、右がその後から……ト前へ越すと、左がちょい、右がちょい。 ・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・は茶事などというものは、頗る変哲なもの、殊更に形式的なもので、要するに非常識的のものであるとなせる等である、固より茶の湯の真趣味を寸分だも知らざる社会の臆断である、そうかと思えば世界大博覧会などのある時には、日本の古代美術品と云えば真先に茶・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・よいよそうと定まれば、知り合いの待合や芸者屋に披露して引き幕を贈ってもらわなければならないとか、披露にまわる衣服にこれこれかかるとか、かの女も寝ころびながら、いろいろの注文をならべていたが、僕は、その時になれば、どうとも工面してやるがと返事・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・に過ぎない遊戯と思いながら面白半分の応援隊となっていたが、それ以来かくの如き態度は厳粛な文学に対する冒涜であると思い、同時に私のような貧しい思想と稀薄な信念のものが遊戯的に文学を語るを空恐ろしく思った。 同時に私は二葉亭を憶出した。巌本・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・ 柔和なる者は福なり、其人はキリストが再び世に臨り給う時に彼と共に地を嗣ぐことを得べければ也とのことである、地も亦神の有である、是れ今日の如くに永久に神の敵に委ねらるべき者ではない、神は其子を以て人類を審判き給う時に地を不信者の手より奪・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・げに、資本主義の波に蕩揺されつゝ工場から工場へ、時に、海を越えて、何処と住居を定めぬ人々にとっては、一坪の菜園すら持たないのである。けれど、彼等は、それを、真に不幸とは思わないだろうか? 人間は、到底、理知のみで生きることはできない。心・・・ 小川未明 「彼等流浪す」
・・・辞も何にも分らねえ髭ムクチャの土人の中で、食物もろくろく与われなかった時にゃ、こうして日本へ帰って無事にお光さんに逢おうとは、全く夢にも思わなかったよ」「そうだろうともねえ、察しるよ! 私も――縁起でもないけど――何しろお前さんの便りは・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・ 十六歳の時、丹造は広島をあとにして、立身出世の夢を宿毎に重ねて、大阪の土を踏んだ。時に明治十五年であった。 すぐに道修町の薬種問屋へ雇われたが、無気力な奉公づとめに嫌気がさして、当時大阪で羽振りを利かしていた政商五代友厚の弘成館へ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・死骸はわずか一間と隔てぬ所に在るのだけれど、その一間が時に取っては十里よりも……遠いのではないが、難儀だ。けれども、如何仕様も無い、這って行く外はない。咽喉は熱して焦げるよう。寧そ水を飲まぬ方が手短に片付くとは思いながら、それでも若しやに覊・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫