・・・家の中の方が学校よりも都て厳格で、山本町に居る間は土蔵位はあったでしたが下女などは置いて無かったのに、家中揃いも揃って奇麗好きであったから晩方になると我日課の外に拭掃除を毎日々々させられました。これに就いて可笑しい話は、柄が三尺もある大きい・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・ その年雪が降り出した或日の晩方から電車の運転手が同盟罷工を企てた事があった。尤わたしは終日外へ出なかったのでその事を知らなかったが、築地の路地裏にそろそろ芸者の車の出入しかける頃、突然唖々子が来訪して、蠣殻町の勤先からやむをえず雪中歩・・・ 永井荷風 「十日の菊」
・・・ その日、晩方までには、もう萱をかぶせた小さな丸太の小屋が出来ていました。子供たちは、よろこんでそのまわりを飛んだりはねたりしました。次の日から、森はその人たちのきちがいのようになって、働らいているのを見ました。男はみんな鍬をピカリピカ・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・ そのひるすぎの半日に、象は九百把たきぎを運び、眼を細くしてよろこんだ。 晩方象は小屋に居て、八把の藁をたべながら、西の四日の月を見て「ああ、せいせいした。サンタマリア」と斯うひとりごとしたそうだ。 その次の日だ、「済ま・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・ * 次の晩方です。 カン蛙は又畑に来て、「野鼠さん。野鼠さん。もうし。もうし。」とやさしい声で呼びました。 野鼠はいかにも疲れたらしく、目をとろんとして、はぁあとため息をついて、それに何だか大へん・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・そしてその日の晩方にはもう僕は海の上にいたんだ。海と云ったって見えはしない。もう僕はゆっくり歩いていたからね。霧が一杯にかかってその中で波がドンブラゴッコ、ドンブラゴッコ、と云ってるような気がするだけさ。今年だって二百二十日になったら僕は又・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 次の日の晩方になって、森がもう黒く見えるころ、おかあさんはにわかに立って、炉に榾をたくさんくべて家じゅうすっかり明るくしました。それから、わたしはおとうさんをさがしに行くから、お前たちはうちにいてあの戸棚にある粉を二人ですこしずつたべ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・あしたの晩方までにはここに連れて来てやるぜ。」 チュンセ童子が一寸笛をやめて云いました。「それは曇った日は笛をやめてもいいと王様からお許しはあるとも。私らはただ面白くて吹いていたんだ。」 ポウセ童子も一寸笛をやめて云いました。・・・ 宮沢賢治 「双子の星」
・・・その日の晩方おそく私たちはひどくまわりみちをしてうちへ帰りましたが東北長官はひるころ野原へ着いて夕方まで家族と一緒に大へん面白く遊んで帰ったということを聞きました。その次の年私どもは町の中学校に入りましたがあの二人の役人にも時々あいました。・・・ 宮沢賢治 「二人の役人」
・・・というわけはその晩方、化学を習った一年生の、生徒が、自分の前に来ていかにも不思議そうにして、豚のからだを眺めて居た。豚の方でも時々は、あの小さなそら豆形の怒ったような眼をあげて、そちらをちらちら見ていたのだ。その生徒が云った。「ずいぶん・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
出典:青空文庫