・・・そのうちにまた天気のいい気分のいいおりに小さな鏡を机の前に立てて見たら、その時は鏡の中の顔が晴れ晴れとしていて目もどことなく活気を帯びて、前とは別人のような感じがした。それでさっそくいちばん小さなボール板へ写生を始めた。鉛筆でザット下図をか・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・顔色の悪い事や、眼鼻の形状配置といったようなものは別としても、顔全体としての表情が十中八、九までともかくも不愉快なものである。晴れ晴れと春めいた気持の好い表情は、少なくも大人の中にはめったに見付からない。大抵神経過敏な緊張か、さもなくば過度・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・想像するだけでも私は胸の奥底まで晴れ晴れとするようないい心持ちがする。 事実は全くどうだかわからない、ただ以上のような場合が今後にもありうるものとすれば、私は多くの善良な象のためにまたその善良な飼養者のために、これだけの事を参考のために・・・ 寺田寅彦 「解かれた象」
・・・ ……迎えるものも、迎えらるるものも、この晴れ晴れした哄笑はどうだ 暖かい、冬の朝暾を映して、若い力の裡に動いている何物かが、利平を撃った。縁端にずらり並んだ数十の裸形は、その一人が低く歌い出すと、他が高らかに和して、鬱勃たる力を見せる・・・ 徳永直 「眼」
・・・山路にかかって来ると路は思いの外によい路で、あまり林などはないから麓村などを見下して晴れ晴れとしてよかった。しかし人の通らぬ処と見えて、旅人にも会わねば木樵にも遇わぬ。もとより茶店が一軒あるわけでもない。頂上近く登ったと思う時分に向うを見る・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・そこでおみちははじめて晴れ晴れじぶんの拵えた寒天もたべた。餅もたべた。キャラメルの箱と敷島は秋らしい日光のなかにしずかに横わった。 宮沢賢治 「十六日」
・・・ またすぐ晴れ晴れとして、さア食事だ! スープの次には、ひき肉を入れて煮たジャガ薯が出ました。 食べながらの話。――「あなたがたピオニェールなの?」「ええ。でもピオニェールでないのが一人いるわ」「どうしたの?」「・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・ そして、小さいながらも充実した文化をもつ人民の日本として、晴れ晴れと、自信にみちた明るい瞳をもって世界に登場しようと希うのである。〔一九四六年五・六月〕 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・ だから実に晴れ晴れとして希望にみちた会話がソヴェトの夏の職場ではとり交わされる。「おい、お前の休みはいつからだ」「俺は八月にくれるように工場委員会へたのんで来たよ。女房の奴、『赤いローザ』にいるんだが八月にあっちは貰えるんだそ・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
・・・俺達やカラは、地体ああ云ういやに晴れ晴れした席にいたたまれないのを百も承知でいながら、何食わぬ顔で叮嚀に請待しおる。なまじい、諸神なみに扱われるので、ふてて思う存分あたけることも出来はせぬ。ミーダ 未だ音楽が聴えるな。――アポローばりの・・・ 宮本百合子 「対話」
出典:青空文庫