・・・そこを一つ通り越せば、海上用語の暗礁に満ちた、油断のならない荒海だった。彼は横目で時計を見た。時間は休みの喇叭までにたっぷり二十分は残っていた。彼は出来るだけ叮嚀に、下検べの出来ている四五行を訳した。が、訳してしまって見ると、時計の針はその・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・ そこは有名な暗礁や島の多いところだ。その島の小学児童は毎朝勢揃いして一艘の船を仕立てて港の小学校へやって来る。帰りにも待ち合わせてその船に乗って帰る。彼らは雨にも風にもめげずにやって来る。一番近い島でも十八町ある。いったいそんな島で育・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
・・・どれほどの用心深さで私はおりおりの暗礁を乗り越えようと努めて来たかしれない。この病弱な私が、ともかくも住居を移そうと思い立つまでにこぎつけた。私は何かこう目に見えないものが群がり起こって来るような心持ちで、本棚がわりに自分の蔵書のしまってあ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・渦まく淵を恐れず、暗礁おそれず、誰ひとり知らぬ朝、出帆、さらば、ふるさと、わかれの言葉、いいも終らずたちまち坐礁、不吉きわまる門出であった。新調のその船の名は、細胞文芸、井伏鱒二、林房雄、久野豊彦、崎山兄弟、舟橋聖一、藤田郁義、井上幸次郎、・・・ 太宰治 「喝采」
・・・それで重力の秘密は自明的に解釈されると同時に古い力学の暗礁であった水星運動の不思議は無理なしに説明され、光と重力の関係に対する驚くべき予言は的中した。もう一つの予言はどうなるか分らないが、ともかくも今まで片側だけしか見る事の出来なかった世界・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・こうなるとジャーナリズムはむしろ科学の学海の暗礁になりうる心配さえ生じるのである。 純粋な物理学や化学の方面の仕事はどんな立派な仕事でも素人にはむつかし過ぎてわからないために、「こうした大発見」になる心配がまずまず少ないのであるが、たと・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ 島が生まれるという記事なども、地球物理学的に解釈すると、海底火山の噴出、あるいは地震による海底の隆起によって海中に島が現われあるいは暗礁が露出する現象、あるいはまた河口における三角州の出現などを連想させるものがある。 なかんずく速・・・ 寺田寅彦 「神話と地球物理学」
・・・これが暗礁になって私の美しい幻の船は難破してしまう。 私は作家が自覚してこのような絵をこしらえるとは思わない。しかし私の望むところは、そういう安直な見どころをむしろ故意になくするように勉めるくらいにしてもらいたいと思うのである。元来簡単・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・わがままで不精な彼にとって年賀状というものが年の瀬に横たわる一大暗礁のごとく呪わしきものに思われて来たのだそうである。「同じ文句を印刷したものを相互に交換するのであるから、結局始めから交換しないでも同じ事である。ただ相違のある点は国民何・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・キッコの机はたびたび誰かにぶっつかられて暗礁に乗りあげた船のようにがたっとゆれました。そのたびにキッコの8の字は変な洋傘の柄のように変ったりしました。それでもやっぱりキッコはにかにか笑って書いていました。「キッコ、汝の木ペン見せろ。」に・・・ 宮沢賢治 「みじかい木ぺん」
出典:青空文庫