・・・その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。時はどんどん移って行く。お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映るか、それは想像も出来ない事だ。恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私の古・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 暗いラムプの灯の下で、栄蔵はたのまれて書き物をして居る。 落ちた処ろどころをそろわない紙で抑えた壁に、大きな、ぼやけた影坊子(が、身じろぎもしないで留まって居る。赤茶色の箪笥、長火鉢、蠅入らず、部屋のあらいざらいの道具が、皆、・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・それが書き物机にもなるし食卓にもなる机から布をかたづけているうちに、ダーリヤは少し疲れを覚えた。頬杖をつく。――風が吹きすぎる毎に思わず顰め顔をしながら外の景色を眺める。バラックのスレートの屋根屋根、その彼方に突立つ葉のない巨大なる焼棒杭の・・・ 宮本百合子 「街」
・・・そして懐中から一枚の書き物を出して、それを前にひろげて、小石を重りにして置いた。誰やらの邸で歌の会のあったとき見覚えた通りに半紙を横に二つに折って、「家老衆はとまれとまれと仰せあれどとめてとまらぬこの五助哉」と、常の詠草のように書いてある。・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・何か書き物をしているのである。書いている紙は大判である。その側には厚い書物が開けてある。卓の上のインク壺の背後には、例の大きい黒猫が蹲って眠っている。エルリングが肩の上には、例の烏が止まって今己が出し抜けに来た詫を云うのを、真面目な顔附で聞・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・そこで廊下から西洋風の戸口を通って書斎へはいると、そこは板の間で、もとは西洋風の家具が置いてあったのかもしれぬが、漱石は椅子とか卓子とか書き物机とかのような西洋家具を置かず、中央よりやや西寄りのところに絨毯を敷いて、そこに小さい紫檀の机を据・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
出典:青空文庫