・・・ちょうど僕も暇だったし、早めに若槻の家へ行って見ると、先生は気の利いた六畳の書斎に、相不変悠々と読書をしている。僕はこの通り野蛮人だから、風流の何たるかは全然知らない。しかし若槻の書斎へはいると、芸術的とか何とかいうのは、こういう暮しだろう・・・ 芥川竜之介 「一夕話」
・・・保吉の心は沈んでいた。保吉は勿論「幸さん」には、何の同情も持たなかった。その上露柴の話によると、客は人格も悪いらしかった。が、それにも関らず妙に陽気にはなれなかった。保吉の書斎の机の上には、読みかけたロシュフウコオの語録がある。――保吉は月・・・ 芥川竜之介 「魚河岸」
・・・んで来た時は、家中のものが思わずほっと気息をついて安堵したが、昼になっても昼過ぎになっても出産の模様が見えないで、産婆や看護婦の顔に、私だけに見える気遣いの色が見え出すと、私は全く慌ててしまっていた。書斎に閉じ籠って結果を待っていられなくな・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ 二 相本謙三郎はただ一人清川の書斎に在り。当所もなく室の一方を見詰めたるまま、黙然として物思えり。渠が書斎の椽前には、一個数寄を尽したる鳥籠を懸けたる中に、一羽の純白なる鸚鵡あり、餌を啄むにも飽きたりけむ、もの・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 僕の書斎兼寝室にはいると、書棚に多く立ち並んでいる金文字、銀文字の書冊が、一つ一つにその作者や主人公の姿になって現われて来て、入れ代り、立ち代り、僕を責めたりあざけったり、讃めそやしたりする。その数のうちには、トルストイのような自髯の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・と先きへ立って直ぐ二階の書斎へ案内した。「こないだは失敬した。君の名を知らんもんだからね、どんな容子の人だと訊くと、鞄を持ってる若い人だというので、(取次がその頃私が始終提げていた革の合切袋テッキリ寄附金勧誘と感違いして、何の用事かと訊かし・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・が、家を尋ねると、藤堂伯爵の小さな長屋に親の厄介となってる部屋住で、自分の書斎らしい室さえもなかった。緑雨のお父さんというは今の藤堂伯の先々代で絢尭斎の名で通ってる殿様の准侍医であった。この絢尭斎というは文雅風流を以て聞えた著名の殿様であっ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・なぜなら、自分の限りある一生の間にそれだけの長い月日、書斎を飾れば沢山だからです。遠く後世を考えるなら別に、図書館があります。私は、人の命のはかなさ、書物の持つ生命のはかなさを考えるだけで、何一つ、所有欲は起らないのであります。 たゞ漢・・・ 小川未明 「書を愛して書を持たず」
たま/\書斎から、歩を街頭に移すと、いまさら、都会の活動に驚かされるのであります。こちらの側から、あちらの側に行くことすら、容易ならざる冒険であって時には、自分に不可能であると感じさせる程、自動車や、自転車や電車がしっきりなしに相つい・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・そして一方の間が、母屋で、また一方が離座敷になっていて、それが私の書斎兼寝室であったのだ。或夜のこと、それは冬だったが、当時私の習慣で、仮令見ても見ないでも、必ず枕許に五六冊の本を置かなければ寝られないので、その晩も例の如くして、最早大分夜・・・ 小山内薫 「女の膝」
出典:青空文庫