・・・ アメリカのスロッソンという新聞記者のかいた書物の口絵にある写真はちょっとちがった感じを与える。どこか皮肉な、今にも例の人を笑わせる顔をしそうなところがある。また最近にタイムス週刊の画報に出た、彼がキングス・カレッジで講演をしている横顔・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・ 真間川はむかしの書物には継川ともしるされている。手児奈という村の乙女の伝説から今もってその名は人から忘れられていない。 市川の町に来てから折々の散歩に、わたくしは図らず江戸川の水が国府台の麓の水門から導かれて、深く町中に流込んでい・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・カーライルは書物の上でこそ自分独りわかったような事をいうが、家をきめるには細君の助けに依らなくては駄目と覚悟をしたものと見えて、夫人の上京するまで手を束ねて待っていた。四五日すると夫人が来る。そこで今度は二人してまた東西南北を馳け廻った揚句・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・三年になると、本科生は書庫の中に入って書物を検索することができたが、選科生には無論そんなことは許されなかった。それから僻目かも知れないが、先生を訪問しても、先生によっては閾が高いように思われた。私は少し前まで、高校で一緒にいた同窓生と、忽ち・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
書物に於ける装幀の趣味は、絵画に於ける額縁や表装と同じく、一つの明白な芸術の「続き」ではないか。彼の画面に対して、あんなにも透視的の奥行きをあたへたり、適度の明暗を反映させたり、よつて以てそれを空間から切りぬき、一つの落付・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・己は何日もはっきり意識してもいず、また丸で無意識でもいず、浅い楽小さい嘆に日を送って、己の生涯は丁度半分はまだ分らず、半分はもう分らなくなって、その奥の方にぼんやり人生が見えている書物のようなものになってしまった。己の喜だの悲だのというもの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・丁度、図書館の書物蔵のように、高くまで大きな箱が幾通りにも立ち、バタン、バタンと賑に落ちる蓋つきの小さい区切りが、幾十となく、名札をつけて並んでいるのである。 下のタタキに下駄の音をさせてその間に入り、塵くさいような、悪戯のような匂いを・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・自分は神道の書物なぞを覗いて見たことはない。又自分の覗いて見られるような書物があるか、どうだか、それさえ知らずにいる。そんならと云って、教育のない、信仰のある人が、直覚的に神霊の存在を信じて、その間になんの疑をも挿まないのとも違うから、自分・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・その側には厚い書物が開けてある。卓の上のインク壺の背後には、例の大きい黒猫が蹲って眠っている。エルリングが肩の上には、例の烏が止まって今己が出し抜けに来た詫を云うのを、真面目な顔附で聞いていたが、エルリングが座を起ったので、鳥は部屋の隅へ飛・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・しかるに他方には『本佐録』あるいは『天下国家の要録』と名づけられた書物があって、内容は右の『五倫書』と一致するところが多い。これは本多佐渡守の著と言われながら、早くより疑問視せられているものである。新井白石は本多家から頼まれてその考証を書い・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫