出典:gooニュース
死生観示す、景勝の書状 米沢・上杉博物館で新収蔵品展
景勝の書状は1582(天正10)年に会津の戦国大名・蘆名(あしな)盛隆の家臣に宛てたものとみられる。織田信長勢の猛攻を受け、上杉家が存亡の危機にある中、「越後一国が全国と対峙(たいじ)・防戦して滅亡するのは『死(し)後之思出(ごのおもいで)』として身に余る光栄だ。
前田利長の書状見つかる 高岡市立博物館 特産物の扱いを指示
高岡開町の祖で、加賀藩2代藩主・前田利長(1562~1614)が、今の富山県高岡市中田地区でつくられた布や米の売買に関し、家臣に指示した書状が見つかった。同市立博物館は「藩主が直接署名、指示した書状で、県西部の産業や経済の様子が分かる貴重な史料」としている。 見つかった書状は10通で、すべて新しい史料。
従来説だと書状内容に矛盾
初代仙台藩主の伊達政宗(1567~1636)は、書状に使う花押(かおう)(サイン)について、以前のものは再び使わないとされる。山形大の松尾剛次(けんじ)名誉教授(日本中世史)は書状の内容や花押の種類から、花押の使用時期をめぐる新説を打ち出した。 1月16日にあった同大の定例記者会見で発表した。 政宗が家督を継承したのは1584(天正12)年10月とされる。
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