・・・ 遊里の光景と風俗とは、明治四十二、三年以後にあっては最早やその時代の作家をして創作の感興を催さしむるには適しなくなったのである。何が故に然りというや。わたくしは一葉柳浪鏡花等の作中に現れ来る人物の境遇と情緒とは、江戸浄瑠璃中のものに彷・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 大正二年革命の起ってより、支那人は清朝二百年の風俗を改めて、われわれと同じように欧米のものを採用してしまったので、今日の上海には三十余年のむかし、わたくしが目撃したような色彩の美は、最早や街路の上には存在していないのかも知れない。・・・ 永井荷風 「十九の秋」
・・・ 然るに脱走の兵、常に利あらずして勢漸く迫り、また如何ともすべからざるに至りて、総督を始め一部分の人々は最早これまでなりと覚悟を改めて敵の軍門に降り、捕われて東京に護送せられたるこそ運の拙きものなれども、成敗は兵家の常にして固より咎むべ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・中巻は最早日本人を離れて、西洋文を取って来た。つまり西洋文を輸入しようという考えからで、先ずドストエフスキー、ガンチャロフ等を学び、主にドストエフスキーの書方に傾いた。それから下巻になると、矢張り多少はそれ等の人々の影響もあるが、一番多く真・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・離筵となると最早唐人ではなくて、日本人の書生が友達を送る処に変った。剣舞を出しても見たが句にならぬ。とかくする内に「海楼に別れを惜む月夜かな」と出来た。これにしようと、きめても見た。しかし落ちつかぬ。平凡といえば平凡だ。海楼が利かぬと思えば・・・ 正岡子規 「句合の月」
・・・ところが学校の門を這入る頃から、足が土地へつかぬようになって、自分の室に帰って来た時は最早酔がまわって苦しくてたまらぬ。試験の用意などは思いもつかぬので、その晩はそれきり寐てしまった。すると翌日の試験には満点百のものをようよう十四点だけもら・・・ 正岡子規 「酒」
・・・この饑餓陣営の中に於きましては最早私共の運命は定まってあります。戦争の為にでなく飢餓の為に全滅するばかりであります。かの巨大なるバナナン軍団のただ十六人の生存者われわれもまた死ぬばかりであります。この際私が将軍の勲章とエボレットとを盗みこれ・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・ 非常な物めずらしさで、よく見て居たいと思うともう私は婆さんの話には最早耳をかたむけなくなって仕舞った。 けれ共婆さんは、私が聞こうが聞くまいがかまわないと云う風に、只一人で勝手に喋って居る。 養蚕の事を云って居た。 実際子・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ただ一ついくらか手軟だと思ったのは、ほととぎすの記者が、鴎外も最早今まで我等に与えた程のものをば与うることを得ぬであろうと云ったくらいなものだ。ついでだから話すが、今の文壇というものは、鴎外陣亡の後に立ったものであって、前から名の聞こえて居・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・ しかしながら、此の資本主義機構は、崩壊しつつあるや否や、と云うことは、最早やわれわれ文学に関心するものの問題ではない。 われわれの問題は、文学と云うものが、此の資本主義を壊滅さすべき武器となるべき筈のものであるか、或いは文・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
出典:青空文庫