・・・水門から最終の葛西橋までその距離は一里を越えてはいないであろう。昭和十一年四月 永井荷風 「放水路」
・・・しかしてそが最終の殿をなした者を誰かと問えば、それは実に幸田先生であろう。先生は震災の後まで向嶋の旧居を守っておられた。今日その人はなお矍鑠としておられるが、その人の日夜見て娯みとなした風景は既に亡びて存在していない。先生の名著『言長語』の・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・は、パリーのある雑誌に寄稿の安受け合いをしたため、ドイツのさる避暑地へ下りて、そこの宿屋の机かなにかの上で、しきりに構想に悩みながら、なにか種はないかというふうに、机のひきだしをいちいちあけてみると、最終の底から思いがけなく手紙が出てきたと・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・長谷川君が余の家へ足を入れたのはこれが最初であってまた最終である。座敷へ通って、室内を見渡して、何だか伽藍のようだねと云った。暇乞のためだから別段の話しも出なかったが、ただ門弟としての物集の御嬢さんと今一人北国の人の事を繰り返して頼んで行っ・・・ 夏目漱石 「長谷川君と余」
・・・しかるに一家の批判を以て任ずべき文芸家もしくは文学家が、国家を代表する政府の威信の下に、突如として国家を代表する文芸家と化するの結果として、天下をして彼らの批判こそ最終最上の権威あるものとの誤解を抱かしむるのは、その起因する所が文芸その物と・・・ 夏目漱石 「文芸委員は何をするか」
・・・直観ということは、単に過程が否定せられて、一度的に最終の真理が見られるということではない。それは極めて幼稚な神秘的な考である。芸術的直観といえども、そうしたものではない。それは無限の過程であるのである。物理学というものも、歴史的身体的なる我・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
・・・女大学終 最終に右の条々稚き時より能く訓う可し云々、今の代の人、女子に衣服道具など多く与えて婚姻せしむるよりも此条々を云々、古語に人よく百万銭を出して女子を嫁せしむる事を知て十万銭を出して子を教うることを知らずといえり、誠なるか・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ 二 アメリカ大統領選挙の結果が発表され、トルーマンの当選が知らされたと時をおなじくして、東京の市ヶ谷では、極東軍事裁判の最終段階の法廷が再開された。トルーマンが政策として、平和のための強国間の協力、アメリ・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
・・・カールは赤いインクで刷られた『新ライン新聞』の最終版にケルンの労働者への訣別の辞をのせ、イエニーはもちものを質屋に入れ、夫妻はケルンを発った。 まずカールが、次いでイエニーと二人の子供とがパリに赴いたが、フランス政府はマルクス一家を気候・・・ 宮本百合子 「カール・マルクスとその夫人」
・・・彼等の最終の呪文は、我国古来の美風を忘れて、徒に浮薄な米国婦人等に其の範をとるのは杞うべき事、恥ずべき事である、と云うのに終りますでしょう。 我国古来の美風――友よ、其なら貴方はその美風が如何なるものであるか御説明下さいますか? 彼は、・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
出典:青空文庫