・・・ が、一夏縁日で、月見草を買って来て、萩の傍へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏には、一時留り餌に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪しんだが、二日め三日めには心着いた。意気地・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・そこには、いままで目に入らなかった月見草が、かわいらしい花を開いていました。そして、これもいままで見なかった、姉の青い着物のえりに、宝石が星の光に射られて輝いていました。 明くる日から、姉は、狂人のようになって、すはだしで港の町々を歩い・・・ 小川未明 「港に着いた黒んぼ」
・・・十八歳の花嫁の姿は、月見草のように可憐であった。 H みんな幸福に暮した。 太宰治 「古典風」
・・・しかしながら、病気以前のラプンツェルの、うぶ毛の多い、野薔薇のような可憐な顔ではなく、いま生き返って、幽かに笑っている顔は、之は草花にたとえるならば、まず桔梗であろうか。月見草であろうか。とにかく秋の草花である。魔法の祭壇から降りて、淋しく・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・恰度月見草が一時に開くころである。咲いた月見草の花を取って嗅いでみてもそんな匂いはしない。あるいはこの花の咲く瞬間に放散する匂いではあるまいか。そんなことを話しながら宿のヴェランダで子供らと、こんな処でなければめったにする機会のないような話・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ 二 月見草 高等学校の寄宿舎にはいった夏の末の事である。明けやすいというのは寄宿舎の二階に寝て始めて覚えた言葉である。寝相の悪い隣の男に踏みつけられて目をさますと、時計は四時過ぎたばかりだのに、夜はしら・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・そしてその裾に深い叢があった。月見草がさいていた。「これから夏になると、それあ月がいいですぜ」桂三郎はそう言って叢のなかへ入って跪坐んだ。 で、私も青草の中へ踏みこんで、株に腰をおろした。淡い月影が、白々と二人の額を照していた。どこ・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・葦に混じって咲く月見草の、淡い黄の色はほのかにかすんで行く夕暮の中に、類もない美くしさを持って輝くのである。 堤に植えられた桜の枝々は濃く重なりあって深い影をつくり、夏、村から村へと旅をする商人はこの木影の道を喜ぶのである。 二番池・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 夏の夕暮れ、ややほの暗くなるころに、月見草や烏瓜の花がはらはらと花びらを開くのは、我々の見なれていることである。しかしそれがいかに不思議な現象であるかは気づかないでいる。寺田さんはそれをはっきりと教えてくれる。あるいは鳶が空を舞いなが・・・ 和辻哲郎 「寺田寅彦」
出典:青空文庫