・・・故に、習慣に累せられず、知識に妨げられずに、純鮮なる少年時代の眼に映じた自然より得来た自己の感覚を芸術の上に再現せんとして、努力するのは、蓋し、茲に甚大の意義を有することを知からである。・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・して母と三人ぶらぶらと行って来ると、途々母は口を極めて洋行夫婦を褒め頻と羨ましそうなことを言っていましたが、その言葉の中には自分の娘の余り出世間的傾向を有しているのを残念がる意味があって、かかる傾向を有するも要するにその交際する友に由ると言・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・食色の慾は限りがある、またそれは劣等の慾、牛や豚も通有する慾である。人間はそれだけでは済まぬ。食色の慾が足り、少しの閑暇があり、利益や権力の慾火は断えず燃ゆるにしてもそれが世態漸く安固ならんとする傾を示して来て、そうむやみに修羅心に任せても・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・もっと端的にわれらの実行道徳を突き動かす力が欲しい、しかもその力は直下に心眼の底に徹するもので、同時に讃仰し羅拝するに十分な情味を有するものであって欲しい。私はこの事実をわれらの第一義欲または宗教欲の発動とも名づけよう。あるいはこんなことを・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・一芸に於いて秀抜の技倆を有すること。The Yellow Book の故智にならい、ビアズレイに匹敵する天才画家を見つけ、これにどんどん挿画をかかせる。国際文化振興会なぞをたよらずに異国へわれらの芸術をわれらの手で知らせてやろう。資金として・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
・・・高尚の趣味を有する、極めて小人数の読者は、私の骨の固くなるのを、ひそかに惜しむにちがいない。それは、ありがとう。君は、いつでも優しかった。お達者で、いつまでもお達者で、暮していて下さい。けれども、私は、何もせず、このまま君に甘えては居られな・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・「一般に剽窃について云々する場合に忘れてならないのは、感覚と情緒を有する限りすべての人は絶えず他人から補助を受けているという事である。人々はその出会うすべての人から教えられ、その途上に落ちているあらゆる物によって富まされる。最大なる人は・・・ 寺田寅彦 「浅草紙」
・・・連句の場合でもまさにそのとおりで前句と付け句とは心像の連鎖のコントラプンクトとしてのみその存在価値を有するものである。 このようにして連句の運動が進行するありさまはある度までたとえばソナタのごとき楽曲の構造に類する。この比較についてはか・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・之を要するに現代の新女優、給仕女、女店員、洋風女髪結のたぐいは、いずれも同じ趣味と同じ性行とを有する同種の新婦人である。 今銀座のカッフェーに憩い、仔細に給仕女の服装化粧を看るに、其の趣味の徹頭徹尾現代的なることは、恰当世流行の婦人雑誌・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・この建築全体の法式はつまり人間の有する敬虔崇拝の感情を出来得べき限りの最高度まで興奮させようと企てたものでしかも立派にその目的に成功した大なる美術的傑作品である。紅雨は生涯忘れない美的感激の極度を経験したと信ずる巴里の有名なる建築物・・・ 永井荷風 「霊廟」
出典:青空文庫