・・・これらの方法によって「無心のものを有心にしなして造化に魂を入れる事」が可能になるのである。 常に俳諧に親しんでその潜在意識的連想の活動に慣らされたものから見ると、たとえば定家や西行の短歌の多数のものによって刺激される連想はあまりに顕在的・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・あるいは阿多福が思をこらして容を装うたるに、有心の鏡はその装を写さずして、旧の醜容を反射することあらば、阿多福もまた不平ならざるをえず。また、政府は人民の反射なりというといえども、その反射は必ずしも今日の実物を今日に反射するに非ず。人心変動・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・けだし社会一般の習俗に制せられて、醜を醜とするの明を失うたるものにして、あるいはこれを評し有心故造の罪にあらず、無心に悪を犯すの愚というも可ならん。この点より見れば悪むべきにあらず、むしろ憐れむべきのみ。 前年外国よりある貴賓の来遊した・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
出典:青空文庫