・・・ 有頂天にならないまでも、又、如何に謙虚に自分の未完成である事にハムブルではあろうとも、その「心のときめき」を、否定し尽す人はないだろう。 下らない賞讚にあって、少し頭に血が上ったのを知ると情けない。 小さい誹謗に、口元を引締め・・・ 宮本百合子 「樹蔭雑記」
・・・小さい、小さい箇人の力――自分は彼を思うと、陽気に自分の幸福を讚美したり、楽しさに有頂天に成っては居られない心持に成って来る。私が、何としても、自分が健康で、活気に満ちて、生活に対する意力を感じて居るのは事実である。その明快な自分を傍観する・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・ このカーブさえ曲れば、もうお終いだという心の緩みと、労力の費されない気安さとで、下らないお喋りに有頂天になっている者達の胸は、ただ義務的に柄に触れているというに過ぎなかった。 まるで生物のようによく転るロールについて、人々が今、カ・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・ 世間では親も娘もそれを唯一の目的として心を砕いている婿選びに興味をもつ素振りもないし、社交界に出たばかりの娘たちを有頂天にさせる華美な遊楽や交際も、フロレンスはただ生れ合わせた境遇の義務の一つとして、それに従っているというだけのように・・・ 宮本百合子 「フロレンス・ナイチンゲールの生涯」
・・・ 長い鉤竿で、羊の群を放ったように川面に浮いている氷を押しやりながら、パンコフのところに使われている髪蓬々の、坊主の古帽をかぶったククーシュキンが、二人の方へ顔を向け、有頂天に云った。「アントーヌィッチ、殊に坊主があんたを好きません・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
一 秋の雨がしとしとと松林の上に降り注いでいます。おりおり赤松の梢を揺り動かして行く風が消えるように通りすぎたあとには、――また田畑の色が豊かに黄ばんで来たのを有頂天になって喜んでいるらしいおしゃべりな雀が羽音をそろえて屋根や軒・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・自分の芸によって観客の感激――有頂天、大歓喜、大酩酊――の起こっている時、彼女は静かに、その情熱を自己の平生の性格の内に編みこむため、非常なる努力をしていた。この「貴い時」の神聖と喜悦と自由とを自己の第二の天性にしようとしていた。そしてつい・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・ヴイナスだ、プラキシテレスのヴイナスだ、と人々は有頂天になって叫ぶ。やがてヴイナスは徐々に、地の底から美しい体を現わして来る。 ある者は恐怖のために逃げ去ろうとする衝動を感じた。しかし奇妙な歓びが彼の全身を捕えて動かさせなかった。それが・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・そうしてそれは音楽が与える有頂天な心持ちとぴったり相応じている。時々あの高い声の独唱が繰り返されるのも、そのたびごとにいくらか合唱が急調になって行くのも、皆彼らの歓喜をあおるとともに、彼らの信仰を刺激し強めないではいない。音楽の力はただ仏の・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・彼はその歓喜を衆人の前に誇示して、Faun らしく無恥に有頂天に踊り回るのである。私たちに嘔吐を催させるものも、彼には Extase を起こす。私たちが赤面する場合に彼は哄笑する。彼は無恥を焦点とする現実主義者である。――Iには売女を思わせ・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫