・・・わたくしは一体多門よりも数馬に望みを嘱して居りました。多門の芸はこせついて居りまする。いかに卑怯なことをしても、ただ勝ちさえ致せば好いと、勝負ばかり心がける邪道の芸でございまする。数馬の芸はそのように卑しいものではございませぬ。どこまでも真・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・「それは早田からお聞きのことかもしれんが、おっしゃった値段は松沢農場に望み手があって折り合った値段で、村一帯の標準にはならんのですよ。まず平均一段歩二十円前後のものでしょうか」 矢部は父のあまりの素朴さにユウモアでも感じたような態度・・・ 有島武郎 「親子」
・・・今にはじめぬことながら、ほとんどわが国の上流社会全体の喜憂に関すべき、この大いなる責任を荷える身の、あたかも晩餐の筵に望みたるごとく、平然としてひややかなること、おそらく渠のごときはまれなるべし。助手三人と、立ち会いの医博士一人と、別に赤十・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・いわんや一縷の望みを掛けているものならば、なおさらその覚悟の中に用意が無ければならぬ。 何ほど恐怖絶望の念に懊悩しても、最後の覚悟は必ず相当の時機を待たねばならぬ。 豪雨は今日一日を降りとおして更に今夜も降りとおすものか、あるいはこ・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・と云いひろめられたので後では望み手もなくて年を経てしまった。嫁入のさきざきで子供を四人も生んだけれ共みんな女なんで出る段につれて来てその子達も親のやっかいになって育て居たけれどもたえまなくわずらうので薬代で世を渡るいしゃでさえもあいそを・・・ 著:井原西鶴 訳:宮本百合子 「元禄時代小説第一巻「本朝二十不孝」ぬきほ(言文一致訳)」
・・・貴様は今からそんなざまじゃア、大砲の音を聴いて直ぐくたばッてしまうやろ云われた時、赤うなって腹を立て、そないに弱いものなら、初めから出征は望みません、これでも武士の片端やさかい、その場にのぞんで見て貰いましょ。――それからと云うものずうッと・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・たといわれわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にもできるものではないと思います。 それで金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・と、みんなはその方を望みながら、いいました。やがて、日がまったく沈んで、空の色がだんだん暗くなると、地平線は波に洗われて、雲の色の消えてゆくのを惜しんだのであります。 ある日のこと、人々がいつものごとく、海岸に立って沖の方をながめていま・・・ 小川未明 「明るき世界へ」
・・・「当り前さ、夏のお萩餅か何ぞじゃあるまいし……ありようを言うとね、娘もまだ年は行ってても全小姐なんだから、親ももう少し先へなってからの方が望みなんかも知れないのさ」「じゃ、とにかくもう少し待ってもらおうじゃねえか。第一お前、肝心の仲・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・わたくしは皆様方のお望みになる事なら、どんな事でもして御覧に入れます。大江山の鬼が食べたいと仰しゃる方があるなら、大江山の鬼を酢味噌にして差し上げます。足柄山の熊がお入用だとあれば、直ぐここで足柄山の熊をお椀にして差し上げます……」 す・・・ 小山内薫 「梨の実」
出典:青空文庫