・・・ そのきさらぎの望月の頃に死にたいとだれかの歌がある。これは十一日の晩の、しかも月の幽かな夜ふけである。おとよはわが家の裏庭の倉の庇に洗濯をやっている。 こんな夜ふけになぜ洗濯をするかというに、風呂の流し水は何かのわけで、洗い物がよ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・次の戦争に利用することのできる八千五百万の人口と計算されているその日本の人民の数のうちに在りながら、野暮な詮議はどこかのひと隅へおしこんで、望月のかけるところない群々の饗宴がつづいた姿だった。 二 前年まで・・・ 宮本百合子 「五〇年代の文学とそこにある問題」
・・・ 道長の出世の原因 藤原為業は明晰な、而して皮肉な頭の男であったらしい。望月の欠くるところなきを我世と観じた道長の栄華のそもそもの原因を斯う云って居る。 二十三で権中納言、二十七で従二位中宮太夫となった道長は、三・・・ 宮本百合子 「余録(一九二四年より)」
・・・ 望月の夜である。甲斐の武田勝頼が甘利四郎三郎を城番に籠めた遠江国榛原郡小山の城で、月見の宴が催されている。大兵肥満の甘利は大盃を続けざまに干して、若侍どもにさまざまの芸をさせている。「三河の水の勢いも小山が堰けばつい折れる・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫