・・・ 朝食をすますと夫婦は十年も前から住み馴れているように、平気な顔で畑に出かけて行った。二人は仕事の手配もきめずに働いた。しかし、冬を眼の前にひかえて何を先きにすればいいかを二人ながら本能のように知っていた。妻は、模様も分らなくなった風呂・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・失礼な起しましょうと口々に騒ぐを制して、朝餉も別間において認め、お前さん方が何も恐がる程の事はないのだから、大勢側に附いて看病をしておやんなさいと、暮々も申し残して後髪を引かれながら。 その日、糸魚川から汽船に乗って、直江津に着きました・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・寝巻のままで階下に降りると、顔も洗わぬうちに、「朝食出来ます、四品付十八銭」の立看板を出した。朝帰りの客を当て込んで味噌汁、煮豆、漬物、ご飯と都合四品で十八銭、細かい商売だと多寡をくくっていたところ、ビールなどをとる客もいて、結構商売になっ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・寝かせた儘手水を使わせ、朝食をとらせました。朝は大抵牛乳一合にパン四分の一斤位、バターを沢山付けて頂きます。その彼へスープ一合、黄卵三個、肝油球。昼はお粥にさしみ、ほうれん草の様なもの。午後四時の間食には果物、時には駿河屋の夜の梅だとか、風・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ それは彼の田舎の家の前を通っている街道に一つ見窄らしい商人宿があって、その二階の手摺の向こうに、よく朝など出立の前の朝餉を食べていたりする旅人の姿が街道から見えるのだった。彼はなぜかそのなかである一つの情景をはっきり心にとめていた。そ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・ 自分は朝起きて、日曜日のことゆえ朝食も急がず、小児を抱て庭に出で、其処らをぶらぶら散歩しながら考えた、帯の事を自分から言い出して止めようかと。 然し止めてみたところで別に金の工面の出来るでもなし、さりとて断然母に謝絶することは妻の・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ 朝なお早ければ街はまだ往来少なく、朝餉の煙重く軒より軒へとたなびき、小川の末は狭霧立ちこめて紗絹のかなたより上り来る荷車の音はさびたる街に重々しき反響を起こせり。青年は橋の一にたたずみて流れの裾を見下ろしぬ。紅に染め出でし楓の葉末に凝・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・「今、ここに呼んだ者は、あした朝食後退院。いゝか!」 同じように、にこ/\しながら看護長は扉を押して次の病室へ出て行った。 結局こうなるのにきまっていたのだ。それを、藁一本にすがりつこうとしたのが誤っていたのだ。栗本は、それが真・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・勧められた塩鯖を買ったについても一ト方ならぬ鬼胎を抱いた源三は、びくびくもので家の敷居を跨いでこの経由を話すと、叔母の顔は見る見る恐ろしくなって、その塩鯖の※包む間も無く朝早く目が覚めると、平生の通り朝食の仕度にと掛ったが、その間々にそろり・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・やがて退り立ちて、ここの御社の階の下の狛犬も狼の形をなせるを見、酒倉の小さからぬを見などして例のところに帰り、朝食をすます。 これよりなお荒川に沿いて上り、雁坂峠を越えて甲斐の笛吹川の水上に出で、川と共に下りて甲斐に入り、甲斐路を帰らん・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
出典:青空文庫