・・・岡林杢之助殿なども、昨年切腹こそ致されたが、やはり親類縁者が申し合せて、詰腹を斬らせたのだなどと云う風評がございました。またよしんばそうでないにしても、かような場合に立ち至って見れば、その汚名も受けずには居られますまい。まして、余人は猶更の・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
一「杢さん、これ、何?……」 と小児が訊くと、真赤な鼻の頭を撫でて、「綺麗な衣服だよう。」 これはまた余りに情ない。町内の杢若どのは、古筵の両端へ、笹の葉ぐるみ青竹を立てて、縄を渡したのに、・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ が、諸藩の勤番の田舎侍やお江戸見物の杢十田五作の買妓にはこの江戸情調が欠けていたので、芝居や人情本ではこういう田五作や田舎侍は無粋な執深の嫌われ者となっている。維新の革命で江戸の洗練された文化は田舎侍の跋扈するままに荒され、江戸特有の・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・昔の木工がよくもこうした螺旋を切ったものだとちょっと不思議なようにも思われる。もっともこのかみ合わせがかなりぎしぎしときしるので、その減摩油としては行燈のともし油を綿切れに浸ませて時々急所急所に塗りつけていた。それで取っ手を回すと同じリズム・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・姉の家で普請をしていた時に、田舎から呼寄せられて離屋に宿泊していた大工の杢さんからも色々の話を聞かされたがこれにはずいぶん露骨な性的描写が入交じっていたが、重兵衛さんの場合には、聴衆の大部分が自分の子供であったためにそういう材料はことさらに・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・そして、数学と全然違うところは、これらの関係がまるで逆になって、+《プラス》のところが-になり、×《タイム》が÷《デバイデッド》となっても、一度真面目に恋愛した人間の心では、決して元の杢阿彌の単一なAならA、BならBには還ることがないと云う・・・ 宮本百合子 「愛は神秘な修道場」
出典:青空文庫