・・・遠い郷里のほうの木曽川の音や少年時代の友だちのことなぞを思い出し顔に、その窓のところでしきりに鶯のなき声のまねを試みた。「うまいもんだなあ。とても鶯の名人だ。」 三郎は階下の台所に来て、そこに働いているお徳にまで自慢して聞かせた。・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・蜂谷の庭に続いた桑畠を一丁も行けば木曽川で、そこには小山の家の近くで泳いだよりはずっと静かな水が流れていることなぞを知らせに来るのも、この子供だ。「桑畠の向うの方が焼けていたで。俺がなあ、真黒に焼けた跡を今見て来たぞい」 こんなこと・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・長良川木曽川いつの間にか越えて清洲と云うに、この次は名古屋よと身支度する間に電燈の蒼白き光曇れる空に映じ、はやさらばと一行に別れてプラットフォームに下り立つ。丸文へと思いしが知らぬ家も興あるべしと停車場前の丸万と云うに入る。二階の一室狭けれ・・・ 寺田寅彦 「東上記」
出典:青空文庫