・・・三 それでも当時の毎日新聞社にはマダ嚶鳴社以来の沼間の気風が残っていたから、当時の国士的記者気質から月給なぞは問題としないで天下の木鐸の天職を楽んでいた。が、新たに入社するものはこの伝統の社風に同感するものでも、また必ずしも・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・が、人生の説明者たり群集の木鐸たる文人はヨリ以上冷静なる態度を持してヨリ以上深酷に直ちに人間の肺腑に蝕い入って、其のドン底に潜むの悲痛を描いて以て教えなければならぬ。今日以後の文人は山林に隠棲して風月に吟誦するような超世間的態度で芝居やカフ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・論説を書いた人々は社会の木鐸であるというその時分愛好された表現そのままの責任と同時に矜持もあったことだと思う。或人は熱心に、新しい日本の黎明を真に自由な、民権の伸張された姿に発展させようと腐心し、封建的な藩閥官僚政府に向って、常に思想の一牙・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・ この社会の木鐸をもって任じた雑誌ジャーナリズムは、先ず経営の方面から近代資本の力に支配されはじめ、当時から見れば二代目或は三代目の今日のジャーナリズムは、更に歴史の推進によって、資本の力と、その力を強め守ろうとする二重の力に少からず左・・・ 宮本百合子 「微妙な人間的交錯」
出典:青空文庫