一 白襷隊 明治三十七年十一月二十六日の未明だった。第×師団第×聯隊の白襷隊は、松樹山の補備砲台を奪取するために、九十三高地の北麓を出発した。 路は山陰に沿うていたから、隊形も今日は特別に、四列側面の行・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ 二十二日は未明より医師が来て注射。午後また注射。終日酸素吸入の連続。如何にしても眠れない。 二十三日、今日も朝から息苦しい。然し、顔や手の浮腫は漸々減退して、殆んど平生に復しました。これと同時に、脚や足の甲がむくむくと浮腫みを増し・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ 翌日未明に、軍隊は北進命令を受けた。 二十六時間の激戦や進軍の後、和田達は、チチハルにまで進んだ。煮え湯をあびせられた蟻のように支那兵は到るところに群をなして倒れていた。大砲や銃は遺棄され、脚を撃たれた馬はわめいていた。和田はその・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・ 十八日、朝霧いと深し。未明狐禅寺に到り、岩手丸にて北上を下る。両岸景色おもしろし。いわゆる一山飛で一山来るとも云うべき景にて、眼忙しく心ひまなく、句も詩もなきも口惜しく、淀の川下りの弥次よりは遥かに劣れるも、さすがに弥次よりは高き情を・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・また春の未明には白魚すくいをやるものがある。これには商売人も素人もある。 マア、夜間通船の目的でなくて隅田川へ出て働いて居るのは大抵こんなもので、勿論種々の船は潮の加減で絶えず往来して居る。船の運動は人の力ばかりでやるよりは、汐の力を利・・・ 幸田露伴 「夜の隅田川」
・・・帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」 しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまっ・・・ 太宰治 「十二月八日」
・・・のたうち廻り、今朝快晴、苦痛全く去って、日の光まぶしく、野天風呂にひたって、谷底の四、五の民屋見おろし、このたび杉山平助氏、ただちに拙稿を御返送の労、素直にかれのこの正当の御配慮謝し、なお、私事、けさ未明、家人めずらしき吉報持参。山をのぼっ・・・ 太宰治 「創生記」
・・・きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ ☆ 東京では、昭和六年の元旦に、雪が降った。未明より、ちらちら降りはじめ、昼ごろまでつづいた。ひる少しすぎ、戸山が原の雑木の林の陰に、外套の襟を立て、無帽で、煙草をふかしながら、いらいら歩きまわっている男が・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・彼は一片の麺麭も食わず一滴の水さえ飲まず、未明より薄暮まで働き得る男である。年は二十六歳。それで戦が出来ぬであろうか。それで戦が出来ぬ位なら武士の家に生れて来ぬがよい。ウィリアム自身もそう思っている。ウィリアムは幻影の盾を翳して戦う機会があ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
出典:青空文庫