・・・ 本田道ちゃんの話 丁度昼で三越に食事に行こうとして玄関に出て来ると、いきなり最初の地震が来た。あぶないと云うので、広場の真中にかたまって三越の方を見ると、あの建物がたっぷり一尺右に左にゆれて居るのが見える。化粧レンガはバラバラ・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・一、Aの帰国に対する自分の心持、スリッパア、着物 一、かえった日 夜、あの心持、 ――○―― 一、何とない皆との不調和、彼の引こみ、食卓に来るおそさ、ひるま片づけのこと、本田の道ちゃんの来た夜、 一、自分仕・・・ 宮本百合子 「「伸子」創作メモ(一)」
前号の『文化タイムズ』に、わたしの評論集『歌声よ、おこれ』について本多秋五氏の書評がのせられた。その書評で、私が日本にプロレタリア文学は実質上存在しなかった、と書いているということがいわれている。「プロレタリア文学なるもの・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学の存在」
・・・ 戦争を描く小説『日本評論』八月号は戦争小説号として、三篇の戦争を題材とした作品をのせている。「明治元年」林房雄。「戦場」榊山潤。「勝沼戦記」村山知義。 本多顕彰氏は月評の中で「勝沼戦記」は戦いを暗い方から描い・・・ 宮本百合子 「文芸時評」
・・・一行の批評も受けず、黙殺される。本田華子と結婚。 一九二〇年。『人間』正月号に「生命の冠」を発表。二月明治座に上演。翌月更に大阪浪花座に於て続演。はじめて戯曲家としての存在を認めらる。「津村教授」と二つ合せて戯曲集「生命の冠」を新潮社よ・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・姫路ではこの男は家老本多意気揚に仕えている。名は山本九郎右衛門と云って当年四十五歳になる。亡くなった三右衛門がためには、九つ違の実弟である。 九郎右衛門は兄の訃音を得た時、すぐに主人意気揚に願書を出した。甥、女姪が敵討をするから、自分は・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ 側には本多正純を始めとして、十余人の近臣がいた。案内して来た宗もまだ残っていた。しかし意味ありげな大御所のことばを聞いて、皆しばらくことばを出さずにいた。ややあって宗が危ぶみながら口を開いた。「三人目は喬僉知と申しまするもので」・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・これは本多佐渡守の著と言われながら、早くより疑問視せられているものである。新井白石は本多家から頼まれてその考証を書いているが、結論はどうも言葉を濁しているように思われる。しかしそれがいずれであっても、同一書を媒介として惺窩、蕃山、本多佐渡守・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫