・・・東京の文学者たちにさえ気づかなかった小品を、田舎の、それも本州北端の青森なんかの、中学一年生が見つけ出すなんて事は、まず無い、と井伏さんの創作集が五、六冊も出てからやっと、井伏鱒二という名前を発見したというような「人格者」たちは言うかもしれ・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・深山を歩きまわって調べてみて、その結果、岐阜の奥の郡上郡に八幡というところがありまして、その八幡が、まあ、東の境になっていて、その以東には山椒魚は見当らぬ、そうして、その八幡から西、中央山脈を伝わって本州の端まで山椒魚はいる、という事にただ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・興奮のあまり、その本州北端の一小都会に着いたとたんに、少年の言葉つきまで一変してしまっていたほどでした。かねて少年雑誌で習い覚えてあった東京弁を使いました。けれども宿に落ちつき、その宿の女中たちの言葉を聞くと、ここもやっぱり少年の生れ故郷と・・・ 太宰治 「おしゃれ童子」
・・・私の故郷は、本州の北端、津軽平野のほぼ中央に在る。私は、すでに十年、故郷を見なかった。十年前に、或る事件を起して、それからは故郷に顔出しのできない立場になっていたのである。「兄さんから、おゆるしが出たのですか?」私たちはトンカツ屋で、ビ・・・ 太宰治 「帰去来」
一 本州の北端の山脈は、ぼんじゅ山脈というのである。せいぜい三四百米ほどの丘陵が起伏しているのであるから、ふつうの地図には載っていない。むかし、このへん一帯はひろびろした海であったそうで、義経が家来たちを連・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・ してみると、いまから三十年ちかく前に、日本の本州の北端の寒村の一童児にまで浸潤していた思想と、いまのこの昭和二十一年の新聞雑誌に於いて称えられている「新思想」と、あまり違っていないのではないかと思われる。一種のあほらしい感じ、とはこれ・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・ここは本州の北端だ。廊下のガラス戸越しに、空を眺めても、星一つ無かった。ただ、ものものしく暗い。私は無性に仕事をしたくなった。なんのわけだかわからない。よし、やろう。一途に、そんな気持だった。 嫂が私たちをさがしに来た。「まあ、こん・・・ 太宰治 「故郷」
・・・彼のふるさとは本州の北端の山のなかにあり、彼の家はその地方で名の知られた地主であった。父は無類のおひとよしの癖に悪辣ぶりたがる性格を持っていて、そのひとりむすこである彼にさえ、わざと意地わるくかかっていた。彼がどのようなしくじりをしても、せ・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・その頃日本では、南方へ南方へと、皆の関心がもっぱらその方面にばかり集中せられていたのであるが、私はその正反対の本州の北端に向って旅立った。自分の身も、いつどのような事になるかわからぬ。いまのうちに自分の生れて育った津軽を、よく見て置こうと思・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・ほどなく暑中休暇にはいり、東京から二百里はなれた本州の北端の山の中にある私の生家にかえって、一日一日、庭の栗の木のしたで籐椅子にねそべり、煙草を七十本ずつ吸ってぼんやりくらしていた。馬場が手紙を寄こした。 拝啓。 死ぬことだけは、待・・・ 太宰治 「ダス・ゲマイネ」
出典:青空文庫