・・・その時には吾々はもう少し謙遜な心持で自然と人間を熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在の色々なイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に科学的なユートピアの真・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・妻に、当人本気なのかなと言ったくらいである。 妻が評したごとく、こういうふうに、いつまでも、紙鳶が木の枝に引っかかって中途から揚がっているようなありさまでおしてゆかれては間へはいった自分たちの責任としても、しまいには放っておかれなくなる・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・吉里さん、お前さん本気で……。ははははは。串戯を言ッて、私をからかッたッて……」「ほほほほ」と、吉里も淋しく笑い、「今日ッきりだなんぞッて、そんなことをお言いなさらないで、これまで通り来ておくんなさいよ」 善吉は深く息を吐いて、涙を・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・内を外にするというべきか、外を内にするというべきか、いずれにも本気の沙汰とは認め難し。政の字の広き意味にしたがえば、人民の政事には際限あるべからず。これを放却して誰に託せんと欲するか、思わざるのはなはだしきものというべし。この人民の政を捨て・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
序ぼくは農学校の三年生になったときから今日まで三年の間のぼくの日誌を公開する。どうせぼくは字も文章も下手だ。ぼくと同じように本気に仕事にかかった人でなかったらこんなもの実に厭な面白くもないものにちがいな・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・「ああ、吹いてやろう。本気でやったら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせるよ」 オツベルはまたどきっとしたが、気を落ち付けてわらっていた。 象はのそのそ鍛冶場へ行って、べたんと肢を折って座り、ふいごの代りに半日炭を吹いたのだ。・・・ 宮沢賢治 「オツベルと象」
・・・と言いながら本気になって、ざぶんと水に飛び込んで、一生けん命、そっちのほうへ泳いで行きました。 三郎の髪の毛が赤くてばしゃばしゃしているのに、あんまり長く水につかってくちびるもすこし紫いろなので、子どもらはすっかりこわがってしまいました・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・ ふき子は、びっくりしたように、「あら本気なの、陽ちゃん」といった。「本気になりそうだわ――ある? そんな家……もし本当にさがせば」「そりゃあってよ、どこだって貸すわ、でも――もし来るんならそんなことしないだって、家へい・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・仙二は、苦笑しながら半分冗談、半分本気で云った。「あげえ業の深けえ婆、世話でも仕ずに死なしたら、忘れっこねえ、きっと化けて出よるぜ」 沢や婆は、幸死なずに治れた。が、すっかり衰えた。憎たらしい、横柄な口も利かなくなった。いずれにせよ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・結婚生活に入って五年の間、一つもまとまった作品のないことを苦痛に感じ、不安に感じはじめていた作者は、一九二三年の夏には本気ですこし長いものをかきたかった。福井県のひどくむし暑い田圃の中の農家の屋根うらの二階で、板の間にしかれた三畳のたたみの・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
出典:青空文庫