・・・我々なら、そういう時には、すぐ本能の力が首を出してきて、ただ、あくがれるくらいではどうしても満足ができんがね」 「そうとも、生理的に、どこか陥落しているんじゃないかしらん」 と言ったものがある。 「生理的と言うよりも性質じゃない・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・人間の撃剣や拳闘でも勝負を決する因子は同じであろうが、人間には修練というものでこの因子を支配する能力があるのに動物はただ本能の差があるだけであろう。 王蛇がいたちのような小獣と格闘するときの身構えが実におもしろい見ものである。前半身を三・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(3[#「3」はローマ数字、1-13-23])」
・・・そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・甚だしきは、かつてニイチェズムの名が、本能主義や享楽主義のシノニムとして流行した。それからしてジャーナリスト等は、三角関係の恋愛や情死者等を揶揄してニイチェストと呼んだ。 何故にニイチェは、かくも甚だしく日本で理解されないだらうか。前に・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・が、彼は盗棒に忍び込まれた娘のように、本能的に息を殺しただけであった。 やがて、電燈のスイッチがパチッと鳴ると同時に部屋が明るくなった。深谷が寝台から下りてスリッパを履いて、便所に行くらしく出て行った。 安岡の眼は冴えた。彼は、何を・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・動物の神経だなんというものはただ本能と衝動のためにあるです。神経なんというのはほんの少ししか働きません。その証拠にはご覧なさい鶏では強制肥育ということをやる、鶏の咽喉にゴム管をあてて食物をぐんぐん押し込んでやる。ふだんの五倍も十倍も押し込む・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・多くの人は、人間が野蛮と暴力に耐えがたいという自然な弱さで――それだからこそ人民は非人間的権力や戦争に反対してたたかうことを余儀なくされるのであるが――生の防衛の本能にみちびかれて、行動せざるを得なかった。 こんにち、いくらかひろげられ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・木村はこれを「本能的掃除」と名づけた。鳩の卵を抱いているとき、卵と白墨の角をしたのと取り換えて置くと、やはりその白墨を抱いている。目的は余所になって、手段だけが実行せられる。塵を取るためとは思わずに、はたくためにはたくのである。 尤もこ・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・動が波立ち上り巻き返す――これは鵜飼の舟が矢のように下ってくる篝火の下で、演じられた光景を見たときも感じたことだが、一人のものが十二羽の鵜の首を縛った綱を握り、水流の波紋と闘いつつ、それぞれに競い合う本能的な力の乱れを捌き下る、間断のない注・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・それはほとんど本能的である。かくして作られたる体験の体系は、一つの新しい生として創造の名に価する。 ただしかし、その体験が浅薄なゆえに偽りを含んでいるとしたら―― 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫