・・・「数学の本質は、その自由性に在る。たしかに、そうだ。自由性とは、Freiheit の訳です。日本語では、自由という言葉は、はじめ政治的の意味に使われたのだそうですから、Freiheit の本来の意味と、しっくり合わないかも知れない。Frei・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・という章を私に見せて、これが井伏の小説の本質だなどと言った。すなわち、「アフリカに於ける羅馬軍の大将アッチリウス・レグルスは、カルタゴ人に打ち勝って光栄の真中にあったのに、本国に書を送って、全体で僅か七アルペントばかりにしかならぬ自・・・ 太宰治 「『井伏鱒二選集』後記」
・・・わるくもなければよくもない、本質から、ふつうの女だ。けれども、私はちがう。たいへんな奴だ。どうやら、これは、ふつう以下だ。」 汽車は赤羽をすぎ、大宮をすぎ、暗闇の中をどんどん走っていた。ウイスキイの酔もあり、また、汽車の速度にうながされ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・でも、破壊しなければいけなかったんだ、革命いまだ成らず、と孫文が言って死んだそうだけれども、革命の完成というものは、永遠に出来ない事かも知れない、しかし、それでも革命を起さなければいけないんだ、革命の本質というものはそんな具合いに、かなしく・・・ 太宰治 「おさん」
・・・がある。特に建築の美には歎美を惜しまないそうである。 そう云えば音楽はあらゆる芸術の中で唯一の四元的のものとも云われない事はない。この芸術には一種の「運動」が本質的なものである。ただその時とともに運動する「もの」と空間とが物質的でないだ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・その理由は第一こういう教育は官辺の影響のために本質的に出来にくいし、また頭の成熟しないものが政治上の事にたずさわるのは一体早過ぎるというのである。その代り生徒に何かしら実用になる手工を必修させ、指物なり製本なり錠前なりとにかく物になるだけに・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・この現在の場合はどうでもいいとしたところで、逆に吾々が何か重大な問題にぶつかった場合に、それを、本質的にそれと同様な、しかし通例些細なと考えられる問題に「翻訳」して考えてみなければならない場合も随分ありはしまいか、そうしてみて始めて問題が正・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・の持続性を利用するという点ではゾートロープやソーマトロープのようなおもちゃと似た点もあるが、しかしこれらのものと現在の映画――無声映画だけ考えても――との間の差別は単なる進化段階の差だけでなくてかなり本質的な差であると考えられる。少なくもラ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ただ上人が在世の時自ら愚禿と称しこの二字に重きを置かれたという話から、余の知る所を以て推すと、愚禿の二字は能く上人の為人を表すと共に、真宗の教義を標榜し、兼て宗教その者の本質を示すものではなかろうか。人間には智者もあり、愚者もあり、徳者もあ・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・故に自覚においては、存在が本質であり、本質が存在である。かかる実在の立場から無限の当為が出て来るのである。我々の自己が唯一的に個となればなるほど、自己自身を限定する事として、絶対の当為に撞着するのである。あるいは我々の自己の自覚を離れて、単・・・ 西田幾多郎 「デカルト哲学について」
出典:青空文庫