出典:gooニュース
織田信長の「天下布武」朱印状 100年ぶり発見 滋賀・百済寺
東近江市 森の文化推進課 明日一史さん「上洛(じょうらく)するまでに背後から裏切られてはだめですので、有力な寺院・神社であったり大きな集落にこういうもの(朱印状)を出しています」 百済寺は朱印状が書かれたわずか5年後、その信長の手で焼き討ちされてしまいますが、書状は無事でした。(「グッド!
信長の朱印状原本、100年ぶり発見 初期の「天下布武」も
【菊池真由】 同市森の文化推進課によると、この朱印状は1929年に記された郷土史「近江愛智(えち)郡志」で紹介されていたが、それ以降は行方不明になっていた。同市が2022年から「森の文化資源調査」の一環で同寺の古文書調査を実施。23年夏ごろ、古文書約1000点の中から発見された。 朱印状は楮紙(こうぞし)で、大きさは縦31センチ、横43・6センチ。
織田信長の朱印状 100年ぶりに発見 信長の官位「弾正忠」の文字や「天下布武」の印 滋賀・百済寺
滋賀県東近江市の百済寺で所在が分からなくなっていた、織田信長の印が押された書状、朱印状が約100年ぶりに発見されました。 市によりますとこの朱印状は、約100年前の郷土史で紹介されて以降、所在不明でしたが約1000点にのぼる百済寺の古文書のなかから木箱に入った状態で発見されました。
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