・・・は確か総武鉄道の社長か何かの次男に生まれた、負けぬ気の強い餓鬼大将だった。 しかし小学校へはいるが早いか僕はたちまち世間に多い「いじめっ子」というものにめぐり合った。「いじめっ子」は杉浦誉四郎である。これは僕の隣席にいたから何か口実を拵・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ さらに一人。杉浦透馬。これは勝治にとって、最も苦手の友人だった。けれども、どうしても離れる事が出来なかった。そのような交友関係は人生にままある。けれども杉浦と勝治の交友ほど滑稽で、無意味なものも珍しいのである。杉浦透馬は、苦学生である・・・ 太宰治 「花火」
・・・恭二君は明治十年十月二十四日東京で生れ、芝桜田小学校から日本中学校に入り故杉浦重剛氏の薫陶を受けた。第一高等学校を経て東京帝国工科大学造船学科へ入学し、明治三十三年卒業した。高等学校時代厳父の死に会い、当時家計豊かでなかったため亡父の故旧の・・・ 寺田寅彦 「工学博士末広恭二君」
・・・木下君も来た、金子さんや真鍋さんも来てくれた。杉浦さんが学校の毛布を持って来てくれてその上へねかされた。そのうちに志んがやって来た。志んの顔には驚きと落着きとが一緒になっているように見えた。この教室の壁の中に妻の姿を見出した感じはよほど妙な・・・ 寺田寅彦 「病中記」
・・・私も下駄で始終歩いた一人で、今はついでだから話しますが、私が此所に這入った時に丁度杉浦重剛先生が校長で此所の呼び者になっていた。この時二十八歳だったかと思います。大変若くて呼び者であったが、暫くするとこういう貼出しが出ました。学校の中を下駄・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・すると党員の中から一人の男のひとが立ち上り堂々と演説をはじめました。杉浦啓一でした、「この間の選挙のとき獄内で、立候補したひとよ」と○○○さんが教えてくれました。杉浦啓一は力づよい、飾りない言葉で第四年目の三・一五を記念し、ブルジョア・地主・・・ 宮本百合子 「共産党公判を傍聴して」
出典:青空文庫