・・・が、そう云う家の中に、赤々と竈の火が見えたり、珍らしい人影が見えたりすると、とにかく村里へ来たと云う、懐しい気もちだけはして来ました。 御主人は時々振り返りながら、この家にいるのは琉球人だとか、あの檻には豕が飼ってあるとか、いろいろ教え・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・ 杢若が、さとと云うのは、山、村里のその里の意味でない。註をすれば里よりは山の義で、字に顕せば故郷になる……実家になる。 八九年前晩春の頃、同じこの境内で、小児が集って凧を揚げて遊んでいた――杢若は顱の大きい坊主頭で、誰よりも群を抜・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 朝露しとしとと滴るる桑畑の茂り、次ぎな菜畑、大根畑、新たに青み加わるさやさやしさ、一列に黄ばんだ稲の広やかな田畝や、少し色づいた遠山の秋の色、麓の村里には朝煙薄青く、遠くまでたなびき渡して、空は瑠璃色深く澄みつつ、すべてのものが皆いき・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・峠を越して半ほどまで来ると、すぐ下に叔母の村里が見えます、春さきは狭い谷々に霞がたなびいて画のようでございました、村里が見えるともう到いた気でそこの路傍の石で一休みしまして、母は煙草を吸い、私は山の崖から落ちる清水を飲みました。 叔母の・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・槌の音が向こうの丘に反響して静かな村里に響き渡る。稲田には強烈な日光がまぶしいようにさして、田んぼは暑さに眠っているように見える。そこへ羅宇屋が一人来て桶屋のそばへ荷をおろす。古いそして小さすぎて胸の合わぬ小倉の洋服に、腰か・・・ 寺田寅彦 「花物語」
・・・どちらを向いても、高い山山ばかりに囲まれた盆地の山ひだの間から、蛙の声の立ちまよっている村里で、石油の釣りランプがどこの家の中にも一つずつ下っていた。牛がまた人と一つの家の中に棲んでいた。 私がランプの下の生活をしたのは、このときから三・・・ 横光利一 「洋灯」
出典:青空文庫