・・・その肖像画は彼が例のナポレオン一世の代りに、書斎の壁へ懸けて置きましたから、私も後に見ましたが、何でも束髪に結った勝美婦人が毛金の繍のある黒の模様で、薔薇の花束を手にしながら、姿見の前に立っている所を、横顔に描いたものでした。が、それは見る・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・殊に紅唐紙の聯を貼った、埃臭い白壁の上に、束髪に結った芸者の写真が、ちゃんと鋲で止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。 そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人を囲んでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ が、鬼神の瞳に引寄せられて、社の境内なる足許に、切立の石段は、疾くその舷に昇る梯子かとばかり、遠近の法規が乱れて、赤沼の三郎が、角の室という八畳の縁近に、鬢の房りした束髪と、薄手な年増の円髷と、男の貸広袖を着た棒縞さえ、靄を分けて、は・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・「どのみちはや御相談になるんじゃなし、丸髷でも、束髪でも、ないししゃぐまでもなんでもいい」「ところでと、あのふうじゃあ、ぜひ、高島田とくるところを、銀杏と出たなあどういう気だろう」「銀杏、合点がいかぬかい」「ええ、わりい洒落・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・ ――この旅籠屋は深切であった。「鱒がありますね。」 と心得たもので、「照焼にして下さい。それから酒は罎詰のがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」 束髪に結った、丸ぽちゃなのが、「はいはい。」 と柔順だっけ。・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・…… 髷も女優巻でなく、わざとつい通りの束髪で、薄化粧の淡洒した意気造。形容に合せて、煙草入も、好みで持った気組の婀娜。 で、見た処は芸妓の内証歩行という風だから、まして女優の、忍びの出、と言っても可い風采。 また実際、紫玉はこ・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・……よせばいいのに、昨夜その旅館につくと、なるほど、帳場にはそれらしい束髪の女が一人見えたが、座敷へ案内したのは無論女中で。……さてその紹介状を渡したけれども、娘なんぞ寄っても着かない、……ばかりでない。この霜夜に、出しがらの生温い渋茶一杯・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・手織縞のごつごつした布子に、よれよれの半襟で、唐縮緬の帯を不状に鳩胸に高くしめて、髪はつい通りの束髪に結っている。 これを更めて見て客は気がついた。先刻も一度そのを大声で称えて、裾短な脛を太く、臀を振って、ひょいと踊るように次の室の入口・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・良人沼南と同伴でない時はイツデモ小間使をお伴につれていたが、その頃流行した前髪を切って前額に垂らした束髪で、嬌態を作って桃色の小さいハンケチを揮り揮り香水の香いを四辺に薫じていた。知らないものは芸者でもなし、娘さんでもなし、官員さんの奥様ら・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・ 二十五年前には日本の島田や丸髷の目方が何十匁とか何百匁とかあって衛生上害があるという理由で束髪が行われ初め、前髪も鬢も髦も最後までが二十七年、頼政の旗上げから数えるとたった六七年である。南朝五十七年も其前後の準備や終結を除いた正味は二・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
出典:青空文庫