・・・丸アミの中心にイワシの頭をくくりつけ、ラムネのびんをオモリにして沈めておけば、カニはその中に入って来る。このごろ、子供たちがよくカニとりに行き、何十匹もとって来てオカズ代りになることが多い。しかし、これはほとんど技術が入らず、釣りのうちに入・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・よく来るじゃアないか」と、小万は小声で言ッて眉を皺せた。「察しておくれよ」と、吉里は戦慄しながら火鉢の前に蹲踞んだ。 張り替えたばかりではあるが、朦朧たる行燈の火光で、二女はじッと顔を見合わせた。小万がにッこりすると吉里もさも嬉しそ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・それに馬鹿に骨が折れて、脚が引っ吊って来る。まあ、やっぱり手を出して一文貰うか、パンでも貰うかするんだなあ。おれはこのごろ時たま一本腕をやる。きょうなんぞもやったのだ。随分骨が折れて、それほどの役には立たねえ。きまって出ている場所と、きまっ・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・斯く無造作に書並べて教うれば訳けもなきようなれども、是れが人間の天性に於て出来ることか出来ぬことか、人間普通の常識常情に於て行われることか行われぬことか、篤と勘考す可き所なり。実際に出来ぬことを勧め、行われぬことを強うるは、元々無理なる注文・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・ だから、早く云って見れば、文学と接触して摩れ摩れになって来るけれども、それが始めは文学に入らないで、先ず社会主義に入って来た。つまり文学趣味に激成されて社会主義になったのだ。で、社会主義ということは、実社会に対する態度をいうのだが、同・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・そう云う態度に自身を置くことが出来るように、この男は修養しているのである。オオビュルナン先生はこんな風に考えている。もっともそれは先生だけの考えかも知れない。文人は年を取るにしたがって落想が鈍くなる。これは閲歴の爛熟したものの免れないところ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・あの広野を女神達が歩いていて、手足の疲れる代りには、尊い草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は素足で野の花の香を踏んで行く朝風に目を覚し、野の蜜蜂と明るい熱い空気とに身の周囲を取り巻かれているの・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ されば曙覧が歌の材料として取り来るものは多く自己周囲の活人事活風光にして、題を設けて詠みし腐れ花、腐れ月に非ず。こは『志濃夫廼舎歌集』を見る者のまず感ずるところなるべし。彼は自己の貧苦を詠めり、彼は自己の主義を詠めり。亡き親を想いては・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・今月の十八日の夜十時で発って二十三日まで札幌から室蘭をまわって来るのだそうだ。先生は手に取るように向うの景色だの見て来ることだの話した。津軽海峡、トラピスト、函館、五稜郭、えぞ富士、白樺、小樽、札幌の大学、麦酒会社、博物館、デンマーク人・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・こういう点も、私の素人目に安心が出来るし、将来大きい作品をつくって行く可能性をもった資質の監督であることを感じさせた。 この作品が、日本の今日の映画製作の水準において高いものであることは誰しも異議ないところであろうと思う。一般に好評であ・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
出典:青空文庫