・・・太郎は卓の東南の隅にいて、そのしもぶくれのもち肌の頬を酔いでうす赤く染め、たらりと下った口鬚をひねりひねり酒を呑んでいた。次郎兵衛はそれと相対して西北の隅に陣どり、むくんだ大きい顔に油をぎらぎら浮かせ、杯を持った左手をうしろから大廻しにゆっ・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・ 仰角から推算して高さ七八キロメートルまでのぼったと思われるころから頂部の煙が東南になびいて、ちょうど自分たちの頭上の方向に流れて来た。 ホテルの帳場で勘定をすませて玄関へ出て見たら灰が降り初めていた。爆発から約十五分ぐらいたったこ・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ 流は千葉街道からしきりと東南の方へ迂回して、両岸とも貧しげな人家の散在した陋巷を過ぎ、省線電車の線路をよこぎると、ここに再び田と畠との間を流れる美しい野川になる。しかしその眺望のひろびろしたことは、わたくしが朝夕その仮寓から見る諏訪田・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・季節と共に風の向も変って、春から夏になると、鄰近処の家の戸や窓があけ放されるので、東南から吹いて来る風につれ、四方に湧起るラヂオの響は、朝早くから夜も初更に至る頃まで、わたくしの家を包囲する。これがために鐘の声は一時全く忘れられてしまったよ・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・橋快から広い新道路が東南に向って走っているのを見たが、乗合自動車はその方へは曲らず、堤を下りて迂曲する狭い道を取った。狭い道は薄暗く、平家建の小家が立並ぶ間を絶えず曲っているが、しかし燈火は行くに従つて次第に多く、家もまた二階建となり、表付・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・放水路の流れはこの橋の南で、荒川の本流と相接した後、忽ち方向を異にし、少しく北の方にまがり、千住新橋の下から東南に転じて堀切橋に出る。橋の欄干に昭和六年九月としてあるので、それより以前には橋がなかったのであろうか。あるいは掛替えられたのであ・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・閃光を放ちながら雷鳴が殷々として遠く聞こえはじめた。東南の空際にも柱の如き雲が相応じて立った。文造は此の気象の激変に伴う現象を怖れた。彼は番小屋へ駆け込んで太十を喚んだ。太十は死んだようになって居る。「北の方はひでえケイマクだ。おっつあ・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・婆さん云う「庭の東南の隅を去る五尺余の地下にはカーライルの愛犬ニロが葬むられております。ニロは千八百六十年二月一日に死にました。墓標も当時は存しておりましたが惜しいかなその後取払われました」と中々精しい。 カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
硝子戸もない廊下では、朝夕の風がひどく身にしみるようになった。二間半と、鍵の手に曲って一間の縁側は東南に面して居るのだが、午後になると、手洗鉢を中心とした三尺ばかりの処にしか、暖い日光は耀らない。三時前から、ひえびえとした・・・ 宮本百合子 「餌」
・・・ 電車は段々モスク市の中心をはずれた。 東南の終点で降りると、工場街だ。広場を前にして、三階コンクリート建の国営デパートメントの大きい硝子窓がある。 木橋がある。下は鉄道線路だ。子供が四五人、木橋の段々に腰かけて遊んでいる。そこ・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
出典:青空文庫