・・・文章も三誦すべく、高き声にて、面白いぞ――は、遠野の声を東都に聞いて、転寝の夢を驚かさる。白望の山続きに離森と云う所あり。その小字に長者屋敷と云うは、全く無人の境なり。茲に行きて炭を焼く者ありき。或夜その小屋の垂菰をかかげて、内を覗・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
徳富猪一郎君は肥後熊本の人なり。さきに政党の諸道に勃興するや、君、東都にありて、名士の間を往来す。一日余の廬を過ぎ、大いに時事を論じ、痛歎して去る。当時余ひそかに君の気象を喜ぶ。しかるにいまだその文筆あるを覚らざるなり。・・・ 田口卯吉 「将来の日本」
・・・南洋孤島の酋長東都を訪うて鉄道馬車の馬を見、驚いてあれは人食う動物かと問う、聞いて笑わざる人なし。笑う人は馬の名を知り馬の用を知り馬の性情形態を知れどもついに馬を知る事はできぬのである。馬を知らんと思う者は第一に馬を見て大いに驚き、次に大い・・・ 寺田寅彦 「知と疑い」
・・・斎藤月岑の東都歳事記に挙ぐるものを見れば、谷中日暮里の養福寺、経王寺、大行寺、長久院、西光寺等には枝垂桜があり、根津の社内、谷中天王寺と瑞輪寺には名高い八重咲の桜があったと云う。 一昨年の春わたくしは森春濤の墓を掃いに日暮里の経王寺に赴・・・ 永井荷風 「上野」
・・・宝暦以後、文学の中心が東都に移ってから、明和年代に南畝が出で、天明年代に京伝、文化文政に三馬、春水、天保に寺門静軒、幕末には魯文、維新後には服部撫松、三木愛花が現れ、明治廿年頃から紅葉山人が出た。以上の諸名家に次いで大正時代の市井狭斜の風俗・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
・・・われ浮世の旅の首途してよりここに二十五年、南海の故郷をさまよい出でしよりここに十年、東都の仮住居を見すてしよりここに十日、身は今旅の旅に在りながら風雲の念いなお已み難く頻りに道祖神にさわがされて霖雨の晴間をうかがい草鞋よ脚半よと身をつくろい・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・やや長じて東都に遊び、巴人の門に入りて俳諧を学ぶ。夜半亭は師の名を継げるなり。宝暦のころなりけん、京に帰りて俳諧ようやく神に入る。蕪村もと名利を厭い聞達を求めず、しかれども俳人として彼が名誉は次第に四方雅客の間に伝称せらるるに至りたり。天明・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
出典:青空文庫