まつだいらかたもり【松平容保】
[1836〜1893]幕末の会津藩主。京都守護職となって公武合体に尽力し、尊攘急進派の長州藩を一掃したが、鳥羽伏見の戦いに敗れて江戸へ逃れた。会津戦争で討幕軍に抗戦したが降伏、のち許されて日光東照宮宮司となった。
まつだいらさだのぶ【松平定信】
[1759〜1829]江戸後期の大名。田安宗武の七男。陸奥 (むつ) 白河藩主松平定邦の養子。号、楽翁。天明7年(1787)老中首座となり、寛政の改革を断行。著「花月双紙」「宇下人言 (うげのひとこと) 」など。
まつだいらしゅんがく【松平春岳】
⇒松平慶永 (よしなが)
まつだいらただなお【松平忠直】
[1595〜1650]江戸初期の大名。越前福井藩主。結城秀康の長男。大坂の陣での論功を不満として反逆的言動をとり、豊後 (ぶんご) に配流された。
まつだいらのぶつな【松平信綱】
[1596〜1662]江戸初期の大名。武蔵川越藩主。将軍徳川家光・家綱に仕え、島原天草一揆・由井正雪の乱・明暦の大火などを処理。伊豆守だったので「知恵伊豆」と称された。
まつだいらはるさと【松平治郷】
[1751〜1818]江戸後期の大名。出雲 (いずも) 松江藩主。号、不昧 (ふまい) 。藩政の改革に尽力。また、茶人として石州流不昧派を興した。著「贅言 (むだごと) 」など。
まつだいらふまい【松平不昧】
⇒松平治郷 (はるさと)
まつだいらよしなが【松平慶永】
[1828〜1890]幕末の大名。越前福井藩主。号、春岳。日米修好通商条約の締結では勅許を得ることを主張、将軍継嗣問題では一橋慶喜を推したため大老井伊直弼と対立、隠居・謹慎を命ぜられた。井伊暗殺ののち許され、公武合体に尽力。維新後は議定・民部卿・大蔵卿を歴任。
まつだいらちょうしちろうえどにっき【松平長七郎江戸日記】
村上元三の時代小説。徳川家光の架空の甥 (おい) 、松平長七郎が、江戸の町のさまざまな事件を解決する。昭和38年(1963)刊行。テレビドラマ化もされている。