・・・また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。 この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌を買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家へ帰ってくると、「そ・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・この男は確か左の腕に松葉の入れ墨をしているところを見ると、まだ狂人にならない前には何か意気な商売でもしていたものかも知れません。僕は勿論この男とは度たび風呂の中でも一しょになります。K君はこの男の入れ墨を指さし、いきなり「君の細君の名はお松・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・それにつけても人一人身投げをさせて見ているような、鬼婆と一しょにいるのじゃ、今にもお敏は裸のまま、婆娑羅の大神が祭ってある、あの座敷の古柱へ、ぐるぐる巻に括りつけられて、松葉燻しぐらいにはされ兼ねますまい。そう思うともう新蔵は、おちおち寝て・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・揺籃の前で道は二つに分かれ、それが松葉つなぎのように入れ違って、しまいに墓場で絶えている。二 人の世のすべての迷いはこの二つの道がさせる業である、人は一生のうちにいつかこのことに気がついて、驚いてその道を一つにすべき術を考え・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・が、余りに憧るる煩悩は、かえって行澄ましたもののごとく、容も心も涼しそうで、紺絣さえ松葉の散った墨染の法衣に見える。 時に、吸ったのが悪いように、煙を手で払って、叺の煙草入を懐中へ蔵うと、静に身を起して立ったのは――更めて松の幹にも凭懸・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 襖がすらりとあいたようだから、振返えると、あらず、仁右衛門の居室は閉ったままで、ただほのかに見える散れ松葉のその模様が、懐しい百人一首の表紙に見えた。 泉鏡花 「縁結び」
・・・ 留守はただ磯吹く風に藻屑の匂いの、襷かけたる腕に染むが、浜百合の薫より、空燻より、女房には一際床しく、小児を抱いたり、頬摺したり、子守唄うとうたり、つづれさしたり、はりものしたり、松葉で乾物をあぶりもして、寂しく今日を送る習い。 ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・多くは果物を餌とする。松葉を噛めば、椎なんぞ葉までも頬張る。瓜の皮、西瓜の種も差支えぬ。桃、栗、柿、大得意で、烏や鳶は、むしゃむしゃと裂いて鱠だし、蝸牛虫やなめくじは刺身に扱う。春は若草、薺、茅花、つくつくしのお精進……蕪を噛る。牛蒡、人参・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・と、大宅太郎光国の恋女房が、滝夜叉姫の山寨に捕えられて、小賊どもの手に松葉燻となる処――樹の枝へ釣上げられ、後手の肱を空に、反返る髪を倒に落して、ヒイヒイと咽んで泣く。やがて夫の光国が来合わせて助けるというのが、明晩、とあったが、翌晩もその・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ ――あれから菜畑を縫いながら、更に松山の松の中へ入ったが、山に山を重ね、砂に砂、窪地の谷を渡っても、余りきれいで……たまたま落ちこぼれた松葉のほかには、散敷いた木の葉もなかった。 この浪路が、気をつかい、心を尽した事は言うまでもな・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
出典:青空文庫