・・・このごろ緑雨を読んでいます。」緑雨かつて自らを正直正太夫と称せしことあり。保田君。この果敢なる勇気にひかれたるか。ふたたび書簡のこと 友人にも逢わず、ひとり、こうして田舎に居れば、恥多い手紙を書く度数もいよいよしげくなるわけ・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・馬琴北斎もこの置炬燵の火の消えかかった果敢なさを知っていたであろう。京伝一九春水種彦を始めとして、魯文黙阿弥に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。しかして彼らはこの寒・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・自分から造出す果敢い空想に身を打沈めたいためである。平生胸底に往来している感想に能く調和する風景を求めて、瞬間の慰藉にしたいためである。その何が故に、また何がためであるかは、問詰められても答えたくない。唯おりおり寂寞を追求して止まない一種の・・・ 永井荷風 「放水路」
・・・ とにかく余は今度我子の果敢なき死ということによりて、多大の教訓を得た。名利を思うて煩悶絶間なき心の上に、一杓の冷水を浴びせかけられたような心持がして、一種の涼味を感ずると共に、心の奥より秋の日のような清く温き光が照して、凡ての人の上に・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・ 一九二一年の果敢な新経済政策は、この生産関係の調整のために敢行された。新経済政策は、農民には場合によって八時間以上の労働と、土地の貸借、他人の労力の雇傭、生産品の自由売買其他を許した。反動的な農民は、当時ソレ見ろとばかり心で手を打った・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・その愛と憧れによって彼等は勇気を与えられ、果敢であることができたのだった。一つの国が民主憲法をもち、民主的行政機構をもち、民主的労働組合と文化をもち、すべては民主的な表現で話されていて、内実は、ポツダム宣言の急速な裏切りと戦争挑発とファシズ・・・ 宮本百合子 「三年たった今日」
・・・その記事を新聞でよんだとき、果敢な人々の行動に心をうたれたものはけっして一人二人でなかったろうと思う。またふたたび自分たちの手でこれを造る日を、どんなに心に誓って、それを破壊したであろうか、と。そのドニェプル発電所の再建からはじまって、スタ・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
・・・る敏感さとともに特筆している意志の弱さ、優柔不断な気質などが作用して、彼は同時代の西欧派に属する芸術家、思想家でもニェクラーソフやベリンスキーがしたように、ロシアの中でツァーリズムの暗黒と日夜闘いつつ果敢に新しい時代を啓いてゆく仕事に従事す・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・母のために宗教裁判所とたたかったケプラーの科学者としての客観的実証的な方法と、堅実果敢だった態度とは、ほんとに人類的な学者というものが、その学問にたって正しさを貫くことから、社会歴史の強力な推進者として歴史の上にあらわれるものであることを示・・・ 宮本百合子 「なぜ、それはそうであったか」
・・・とばかり執拗に、果敢に破綻をもおそれず、即発燃焼を志して一箇の芸術境をきずいて行った姿というものは、平俗に逃避したりおさまったりした枯淡と何等の通じるものをもっていない。はりつめて対象の底にまで流れ入り、それを浮上らせている精神の美があるか・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫