・・・するとその鏡の奥に写ったのが――いつもの通り髭だらけな垢染みた顔だろうと思うと――不思議だねえ――実に妙な事があるじゃないか」「どうしたい」「青白い細君の病気に窶れた姿がスーとあらわれたと云うんだがね――いえそれはちょっと信じられん・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・「そうして山の中で芝居染みた事を云ってさ」「ハハハハしかしあの時は大いに感服して、うん、うん、て云ったようだぜ」「あの時は感心もしたが、こうなって見ると馬鹿気ていらあ。君ありゃ真面目かい」「ふふん」「冗談か」「どっち・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・おれの靴は水が染みて海綿のようになってけつかる。」こう言い掛けて相手を見た。 爺いさんは膝の上に手を組んで、その上に頭を低く垂れている。 一本腕はさらに語り続けた。「いやはや。まるで貧乏神そっくりと云う風をしているなあ。きょうは貰い・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・就中幼少の時、見習い聞き覚えて習慣となりたることは、深く染み込めて容易に矯め直しの出来ぬものなり。さればこそ習慣は第二の天性を成すといい、幼稚の性質は百歳までともいう程のことにて、真に人の賢不肖は、父母家庭の教育次第なりというも可なり。家庭・・・ 福沢諭吉 「家庭習慣の教えを論ず」
・・・「ロシアの十九世紀半の若い作家は殆ど気狂い染みた身ぶりで」「新しい思想を育てる地盤はなくても新しい思想に酔」ったが「わが国の作家達はこれを行わなかった。行えなかったのではない、行う必要を認めなかったのだ。」「文学自体に外から生き物のよう・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・けれ共、真の親切を、装うた親切と見分ける眼をふさいで仕舞った、子供心に染み染みと喰い込んだ生活の苦しみと、町の地主等を憎く思うのである。私は斯うやって長い事考え込んで居た。 家の小作人の菊太と云う男が私のわきに来て、「良いお日和・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・しかし不遠慮に言えば、百物語の催主が気違染みた人物であったなら、どっちかと云えば、必ず躁狂に近い間違方だろうとだけは思っていた。今実際にみたような沈鬱な人物であろうとは、決して思っていなかった。この時よりずっと後になって、僕はゴリキイのフォ・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・どうにかして美しくなろうと意気込んで、それと同時にあなたに対しては気違染みた嫉妬をしていたのです。まだ覚えておいでなさるか知りませんが、いつでしたかあなたが御亭主と一しょに舞踏会に往くとおっしゃった時、わたくしは夢中になっておこったことがあ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・それを伺った時、わたくし最初は随分気違染みた事をなさると思って笑いましたの。それに人の思わくをお考えなさらないにも程があるとも思いましたの。そのくせわたくしとうとうおことわりは申さなかったのですね。そのおことわり申さないには、理由が二つござ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
・・・血、血に染みた姿があらわれて来る。垣根に吹き込む山おろし、それも三郎たちの声に聞える。ボーン悩と鳴る遠寺の鐘、それも無常の兆かと思われる。 人に見られて、物思いに沈んでいることを悟られまいと思って、それから忍藻は手近にある古今集を取って・・・ 山田美妙 「武蔵野」
出典:青空文庫