・・・ 清水につくと、魑魅が枝を下り、茂りの中から顕われたように見えたが、早く尾根づたいして、八十路に近い、脊の低い柔和なお媼さんが、片手に幣結える榊を持ち、杖はついたが、健に来合わせて、「苦労さしゃったの。もうよし、よし。」 と、お・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相というのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して、お誓の処女づくって、血の清澄明晰な風情に、何となく上等の神巫の麗女の面影が立つ。 ――われ知らず、銑吉のかくれた意識に、おのず・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・きびらの洗いざらし、漆紋の兀げたのを被たが、肥って大いから、手足も腹もぬっと露出て、ちゃんちゃんを被ったように見える、逞ましい肥大漢の柄に似合わず、おだやかな、柔和な声して、「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ 一小間硝子を張って、小形の仏龕、塔のうつし、その祖師の像などを並べた下に、年紀はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚に対しつつ、口をへの字形に結んで泰然として、胡坐で細工盤・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・その風采、高利を借りた覚えがあると、天窓から水を浴びそうなが、思いの外、温厚な柔和な君子で。 店の透いた時は、そこらの小児をつかまえて、「あ、然じゃでの、」などと役人口調で、眼鏡の下に、一杯の皺を寄せて、髯の上を撫で下げ撫で下げ、滑・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ おとよは心はどこまでも強固であれど、父に対する態度はまたどこまでも柔和だ。ただ、「わたしが悪いのですからどうぞ見捨てて……」とばかり言ってる。悪いと知ったら、なぜ親のことばを用いぬといえば泣き伏してしまう。「斎藤の縁談を断・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・ 哀む者は福なり、其故如何? 将さに現われんとする天国に於て其人は安慰を得べければ也とのことである。 柔和なる者は福なり、其人はキリストが再び世に臨り給う時に彼と共に地を嗣ぐことを得べければ也とのことである、地も亦神の有である、是れ・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
・・・トーヴァルセンを出して世界の彫刻術に一新紀元を劃し、アンデルセンを出して近世お伽話の元祖たらしめ、キェルケゴールを出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えしめしデンマークは、実に柔和なる牝牛の産をもって立つ小にして静かなる国であります。・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ おじいさんの顔は、いつも笑っているように柔和に見えました。 おじいさんは、あちらへつえをつきながらいってしまいました。 二郎はその笛を持って、あちらの砂山にゆきました。 このあたりは海岸で、丘には木というものがなかったので・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・ 然るに全校の人気、校長教員を始め何百の生徒の人気は、温順しい志村に傾いている、志村は色の白い柔和な、女にして見たいような少年、自分は美少年ではあったが、乱暴な傲慢な、喧嘩好きの少年、おまけに何時も級の一番を占めていて、試験の時は必らず・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
出典:青空文庫