・・・ ソロモンの栄華も一輪の百合の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・生きているうちに一度でも金をもうけて三日でも栄華の夢を見さえすれば津波にさらわれても遺憾はないという、そういう人生観をいだいた人たちがそういう市街を造って集落するのかもしれない。それを止めだてするというのがいいかどうか、いいとしてもそれが実・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・科学上の仕事は砂上の家のような征服者の栄華の夢とは比較ができない。 しかしまた考えてみると一般相対性理論の実験的証左という事は厳密に言えば至難な事業である。たとえ遊星運動の説明に関する従来の困難がかなりまで除却され、日蝕観測の結果がかな・・・ 寺田寅彦 「相対性原理側面観」
・・・この死滅した昔の栄華と歓楽の殿堂の跡にこんなかよわいものが生き残っていた、石や煉瓦はぽろぽろになっているのに。 酒屋の店の跡も保存されてあった。パン屋の竈の跡や、粉をこねた臼のようなものもころがっていた。娼家の入り口の軒には大きな石の ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・しかしまた昔はずいぶん人の栄華を見て奮発心を起して勉強した人も沢山あって、そういう事の方が多く讃美され奨励されていたようでもある。 南向いている豚の尻を鞭でたたけば南へ駆け出し、北向いている野猪をひっぱたけば北へ向いて突進する。同じ鋳掛・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・成島柳北が仮名交りの文体をそのままに模倣したり剽窃したりした間々に漢詩の七言絶句を挿み、自叙体の主人公をば遊子とか小史とか名付けて、薄倖多病の才人が都門の栄華を外にして海辺の茅屋に松風を聴くという仮設的哀愁の生活をば、いかにも稚気を帯びた調・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・そして栄華の昔には洒落半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お浚いの座敷の緋毛氈、祭礼の万燈花笠に酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・真実に脱俗して栄華の外に逍遥し、天下の高処におりて天下の俗を睥睨するが如き人物は、学者中、百に十を見ず、千万中に一、二を得るも難きことならん。いわんや日本国中栄誉の得べきものなければ、すなわち止まんといえども、等しく国民の得べきものにして、・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・ 虚栄心は何故起るのだろう。栄華を求める心が取るまじき金をとったとして、そこに取り得る金があったということは何を語るのであろう。曲った金品を取らせようとする人間とそれを取るか、取らぬかの判断は、当事者の廉潔心によるしかない立場におかれる・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・ジョセフィン・ベイカア一人、コティの翼にのって一度は栄華の空を翔んだとして、ニグロの女として彼女の運命の本質は些も改善されなかった。 今日の生活の文化は、このようないきさつで、白粉の箱一つにも絡まれている。それを、私たちは果してよく感じ・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
出典:青空文庫