さくらいし【桜井市】
⇒桜井
さくらいじょうじ【桜井錠二】
[1858〜1939]化学者。石川の生まれ。英国に留学。ベックマンの沸点上昇測定装置を改良。東大教授。帝国学士院院長。
さくらいただよし【桜井忠温】
[1879〜1965]陸軍軍人・作家。愛媛の生まれ。日露戦争の旅順攻囲戦で重傷を負い内地送還。その体験を描いた「肉弾」「銃後」は広く読まれた。
さくらいたんばのしょうじょう【桜井丹波少掾】
古浄瑠璃の太夫。前名、和泉太夫。薩摩浄雲の門下。剛勇な金平節 (きんぴらぶし) を創始し、17世紀中ごろ、江戸で人気を博した。生没年未詳。→金平浄瑠璃
さくらいばいしつ【桜井梅室】
[1769〜1852]江戸後期の俳人。加賀の人。名は能充。高桑闌更 (たかくわらんこう) の門下。著「梅室附合集」「梅林茶談」など。
さくらいやいちろう【桜井弥一郎】
[1883〜1958]野球選手・指導者。長野の生まれ。慶大野球部の二塁手・投手として活躍。明治36年(1903)初の早慶戦で勝利投手となる。のち三田倶楽部 (クラブ) の会長となり、実業団野球の選手の養成にも力を注いだ。
さくらいりとう【桜井吏登】
[1681〜1755]江戸中期の俳人。江戸の人。服部嵐雪に師事。名を残すことを好まず、晩年句稿を焼却したといわれる。