・・・漣の寄する渚に桜貝の敷妙も、雲高き夫人の御手の爪紅の影なるらむ。 伝え聞く、摩耶山とうりてんのうじ夫人堂の御像は、その昔梁の武帝、女人の産に悩む者あるを憐み、仏母摩耶夫人の影像を造りて大功徳を修しけるを、空海上人入唐の時、我が朝に斎き帰・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・たらいの中には桜貝の櫛と笄が浮んでいるだけであった。雪女、お湯に溶けてしまった、という物語。私は尚も言葉をつづけて、私、考えますに葛の葉の如く、この雪女郎のお嫁が懐妊し、そのお腹をいためて生んだ子があったとしたなら、そうして子供が成長して、・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・山茶花の花びらは、桜貝。音たてて散っている。こんなに見事な花びらだったかと、ことしはじめて驚いている。何もかも、なつかしいのだ。煙草一本吸うのにも、泣いてみたいくらいの感謝の念で吸っている。まさか、本当には泣かない。思わず微笑しているという・・・ 太宰治 「新郎」
・・・肩にたれた髪から潮の薫りが流れ出して、足許には渚の桜貝が散りそうです。 次第にお城の柱に朝日が差して来る頃になると、鏡の前に立ったまま、王女の着物は、ほっそりした若木の林が、朝の太陽に射とおされる模様に変りました。海底の有様は柔かい霧の・・・ 宮本百合子 「ようか月の晩」
出典:青空文庫